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嫁と姑の20年が、姑の認知症で変わった話
結婚して20年、わたしと姑の関係は、ずっと冷たいものでした。お盆も正月も、必要最低限の会話で過ごしてきた相手が、認知症と診断されて1年。姑が、過去の言葉ではなく、いまの言葉で、わたしに『ありがとう』を初めて言った日のことを、忘れたくなくて書きました。
姑が認知症と診断されて、1年が経ちました。
姑は82歳、わたしは58歳。
結婚してから20年、わたしと姑の関係は、ずっと冷たいものでした。
お盆と正月、夫の実家に2泊3日で行く。 姑と義父が用意した料理を食べる。 わたしと姑の会話は、ほとんど、わたしから「お母さん、お皿、洗いましょうか」「次のお茶、入れますね」、こういう「家事の声かけ」だけでした。
姑から「ありがとう」と言われたことは、20年で、たぶん3回ありませんでした。
それが、20年のわたしと姑の関係でした。
ところが、認知症と診断された姑が、ある日、わたしに「ありがとう」を言ったのです。
それは、20年で初めての「ありがとう」でした。
そして、その日のことを、わたしはたぶん、一生、忘れません。
20年、わたしは「いい嫁」をやれていなかった
正直に書きます。
20年、わたしは「いい嫁」をやれていませんでした。
結婚した最初の年、姑にお皿の洗い方を直されたとき、「もう何もしない」と心に決めたのです。
その日以来、わたしは、姑の家で、必要最低限のことしかしませんでした。
夫の実家に着いても、自分から積極的に動かない。 姑が用意したお茶を黙って飲む。 姑が話しかけてきたら、短く返事だけする。 2泊3日が終わったら、夫の運転する車の中で、ふっと息を吐く。
これが、20年のわたしの「義実家での過ごし方」でした。
姑も、わたしのこの態度を、たぶん感じ取っていました。 姑のほうも、わたしに話しかけることが、年々減っていきました。
20年で、わたしと姑は、お互いに「距離を取り合う」関係を、完成させていたのです。
姑が認知症と診断された日
姑が認知症と診断されたのは、去年の春でした。
きっかけは、姑がガス台を消し忘れて、小さなボヤを起こしたことでした。
夫が義父と話し合って、姑を病院に連れていきました。 診断は、アルツハイマー型認知症の初期。
その時、夫はわたしに、こう言いました。
「お袋、もう、お前のこと、覚えてないかもしれない」
正直、わたしは少し、ホッとしました。
20年の冷たい関係を、姑がもう覚えていないなら、これからは「初めて会う人」として接すればいいだけ、と。
それなら、20年の重さがなくなって、わたしも少し楽になれる、と思ったのです。
半年ぶりに会った姑
診断から半年後、わたしと夫は、義実家に泊まりに行きました。
姑は、玄関で、わたしを見て、しばらく、首を傾げました。
「えーと、どなたでしたか」
わたしは、こう答えました。
「真奈美です。お父さん(義父)の、息子の、嫁です」
姑は、しばらく考えてから、こう言いました。
「ああ、真奈美さん。よくいらしたね。お疲れでしょう」
姑は、わたしを「初対面の親戚」のように、迎えてくれました。
その日の夕食、姑は、わたしのお皿のおかずを、ぜんぶ確認してから、こう聞きました。
「真奈美さんは、お豆腐、大丈夫ですか」
20年、姑はわたしの食べ物の好みなど、一度も気にしたことが、ありませんでした。
それが、認知症になってから、初めて、わたしに「気を遣う」ようになったのです。
「ありがとう」を言われた、3日目の朝
3日目の朝、わたしは早く起きて、姑の朝食を作りました。
シンプルな和食でした。 ご飯、わかめのお味噌汁、納豆、卵焼き、漬物、お茶。
姑は、わたしが作った朝食を見て、しばらく黙っていました。
そして、こう言いました。
「真奈美さん、毎朝、こんなふうに作ってくださってるんですか」
「いえ、今日だけです」
「真奈美さん、ありがとうございます」
声に出した「ありがとう」でした。
20年、姑から「ありがとう」を言われたのは、たぶん、3回くらい。 そのどれも、儀礼的なものでした。
ところが、その朝の「ありがとうございます」は、姑が、わたしの目を見て、しっかり、ゆっくり、言ってくれたのです。
わたしは、台所で、振り向いて、姑に「いいえ」と返すまでに、5秒くらいかかりました。
涙がこぼれそうになったからです。
認知症の姑が、わたしに見せた「素」
その夜、夫と寝室で、姑のことを話しました。
「お袋、今日、お前にありがとうって言ってたな」
夫も、気づいていました。
「20年で、初めて聞いた気がする」
そう、わたしは正直に答えました。
夫は、しばらく考えてから、こう言いました。
「お袋、認知症になってから、たぶん『嫁姑』っていう関係を、忘れたんじゃないか。だから、お前のことを、普通の人として、見られるようになったのかもしれない」
その通りだと、わたしも思いました。
姑は、20年「嫁姑関係」というメガネをかけて、わたしを見ていたのです。 そのメガネが、認知症で、ぽろりと外れた。 そして、わたしを「ひとりの女性」「ひとりの宿泊客」として、見るようになった。
そのとき初めて、姑から、自然な「ありがとう」が出たのです。
「もっと早く出会えていたら」とは、たぶん違う
その夜、わたしは「もっと早く、こういう関係になれていたら」と、一瞬、考えました。
ですが、それは違うのです。
姑が、わたしを「嫁」と見ていた20年のあいだは、たぶん、何をしても、姑からの「ありがとう」は出てこなかった。 わたしも、姑を「姑」と見ていた20年のあいだは、たぶん、姑からの「ありがとう」を素直に受け取れなかった。
姑の認知症が、わたしと姑の20年の「役割」を、両方とも消してくれた。 その時に、初めて、わたしたちは「人と人」として、対面できたのです。
これは、20年待たないと、起きなかったことかもしれません。
1年経った、いまの姑とわたし
それから1年、わたしと姑は、月に1回、義実家で会うようになりました。
姑は、わたしのことを、毎回、覚えていません。 「どなたでしたか」と、毎回、聞かれます。 「お父さんの、息子の、嫁です」と、毎回、答えます。
姑は、毎回、「ああ、真奈美さん。よくいらしたね」と迎えてくれます。 そして、毎回、「ありがとうございます」を、何度か、わたしに言ってくれます。
20年で3回もなかった「ありがとう」を、月1で何度も、聞けるようになったのです。
姑が、わたしを覚えていないことは、もう、悲しくありません。
毎回、姑にとって、わたしは「初めて来てくれた、優しい女性」なのです。 そして、わたしにとって姑も、20年の冷たさを忘れた「優しい年上の女性」になりました。
これが、わたしたちの「いま」の関係です。
認知症と「許し」
姑の認知症は、誰にとっても、つらい病気です。 夫も、義父も、いまも姑の変化に、毎日、向き合っています。
ですが、わたしと姑の関係に限って言えば、認知症は、20年の重さを、解いてくれました。
それは、姑にとっても、ある意味、解放だったかもしれません。
「嫁姑」という古い枠から、姑も、解放されたのです。
そして、わたしも、その枠から、たぶん、初めて出られたのです。
同じ場面に立つ方へ
もし、いま、姑との関係が冷たくて、姑が認知症になり始めているなら、申し上げたいことが、ひとつあります。
姑が、認知症になっても、あなたを思い出してくれない可能性は、あります。
ですが、もしかしたら、姑は、別の姿で、あなたに「ありがとう」を言ってくれるかもしれません。
それは、20年、30年、40年の積み重ねの後の、思いがけないギフトかもしれません。
そのギフトを、受け取れる準備をしておくこと。
それが、認知症の姑との時間を、最後にいちばん大事に過ごすコツだと、わたしは58歳の今、思っています。
姑が、最後の数年で、わたしに「ありがとう」を3回も、5回も言ってくれた。 それだけで、20年の冷たさは、たぶん、報われたのです。
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