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コラム

= COLUMN =

義母の最後の3ヶ月、わたしが寄り添った時間のこと

ヨバナシ編集部 読了 約5分

86歳の義母が、肺の病気で、余命3ヶ月と告げられました。それまで義母と淡い関係だった62歳のわたしが、その3ヶ月、毎週義母のところに通うことに決めました。義母の最後の3ヶ月で、わたしと義母の関係が、35年で初めて、深まった話を書きます。

86歳の義母が、肺の病気で、余命3ヶ月と告げられたのは、3年前の春でした。

夫から、その電話を受けたとき、わたしは、台所で、夕食の準備をしていました。

「お袋、余命3ヶ月だって。長くて」

夫の声は、震えていました。

その夜、わたしと夫は、リビングで、長く話しました。

夫の姉(義姉)夫婦は、義母と頻繁に会っていました。 わたしと夫は、お盆と正月の年2回しか、義母に会っていませんでした。

35年連れ添って、わたしの中の義母は、ずっと、「遠い、淡い、義母」でした。

ですが、その夜、わたしは、夫に、こう言いました。

「あなた。この3ヶ月、わたし、お義母さんのところに、毎週、通うね」

夫は、しばらく、わたしの顔を見ていました。

「お前、そんなことしなくていいよ。お袋とお前、特に親しくなかっただろう」

「だからこそ、行くの。35年の最後の3ヶ月、わたしも、お義母さんとちゃんと過ごしたい」

夫は、ぐっと、唇を結びました。

そして、こう言いました。

「ありがとう、由紀子」

今日は、その3ヶ月の話を、書きたいと思います。

最初の月: 義母は、わたしに、距離を感じていた

最初の1ヶ月、わたしは、毎週金曜日に、義実家に行きました。

新幹線で1時間。 朝10時に着いて、夕方5時に、自分の家に戻る。

義実家での7時間、わたしは、義姉と一緒に、義母の世話を、させてもらいました。

最初の金曜日、義母は、わたしを見て、少し、戸惑っていました。

「あら、由紀子さん。今日、何かあるの?」

わたしは、こう答えました。

「お義母さん。お会いしたくて、来ました」

義母は、しばらく、わたしを見て、ふっと、笑いました。

「あんた、本当にいいの。遠いところから」

「いいの。お義母さん、お会いしたくて」

ですが、その日、義母は、わたしと、ほとんど話してくれませんでした。

35年の関係は、淡かったのです。 急に、毎週わたしが訪ねても、義母は、なかなか、心を開いてくれませんでした。

それは、わたしも、覚悟していました。

ですから、最初の月は、わたしは「ただ、隣に座る」ことに、徹しました。

義母が、テレビを見ているなら、わたしも、隣で、テレビを見ます。 義母が、本を読んでいるなら、わたしも、隣で、文庫本を、読みます。 義母が、お昼寝するなら、わたしも、隣で、静かに、編み物をします。

7時間、ほとんど話さない日が、4週続きました。

2ヶ月目: 義母が、ぽつりと話し始めた

2ヶ月目の最初の金曜日でした。

その日、わたしが、いつものように、義母の隣で、編み物をしていたら、義母が、ふと、こう聞いてきました。

「由紀子さん。それ、誰のセーター?」

「お義母さんのです。寒くなるから、お正月までに、と思って」

義母は、しばらく、わたしの編み物を、見ていました。

そして、こう言いました。

「ありがとうね。あんた、優しい人ね」

35年で、義母から「優しい人ね」と言われたのは、初めてでした。

その瞬間に、わたしと義母の間の、ぴんと張った糸が、ふっと、緩んだ気がしました。

その日から、義母は、わたしに、いろんなことを、ぽつりぽつりと、話してくれるようになりました。

  • 義母が、若い頃、なりたかった看護師の夢のこと
  • 義母が、義父と出会った日のこと
  • 義母が、夫(わたしの夫)を妊娠したときのこと
  • 義母が、わたしと初めて会った日に思ったこと
  • 義母が、わたしを、本当はずっと、好きだったこと

最後の言葉を、義母から聞いたとき、わたしは、義母の隣で、しばらく、声を出さずに、泣きました。

35年、義母は、わたしを、本当はずっと、好きだったのに、それを、言える機会が、なかったのです。

そして、わたしも、義母を、本当は嫌いではなかったのに、それを、言える機会が、なかったのです。

最後の3ヶ月で、ようやく、わたしたちは、お互いに、それを、伝え合えました。

3ヶ月目: 義母の体調が、急に悪化した

3ヶ月目に入ってから、義母の体調は、急に、悪化しました。

ベッドから、起き上がるのが、難しくなりました。 食事も、ほとんど、取れなくなりました。 意識が、ぼんやりしている時間が、増えました。

わたしは、金曜日だけでなく、火曜日と、土曜日も、義実家に通うようになりました。

夫も、できるだけ、一緒に来てくれました。

3ヶ月目の最後の週、わたしは、義母の枕元で、ずっと、義母の手を握っていました。

義母の手は、すごく、温かかったです。

意識が、ある時もない時もありましたが、わたしが手を握っていると、義母は、わたしのほうを向いて、微かに、笑ってくれました。

夫が、ベッドの反対側で、声をかけました。

「お袋、由紀子だぞ。由紀子が、ここにいるからな」

義母は、わたしを見て、口を、ゆっくり動かしました。

声には、なりませんでしたが、口の形で、こう言ってくれたのが、わかりました。

「ありがとう」

それが、義母が、わたしに伝えてくれた、最後の言葉でした。

そして、その夜、義母は、静かに、亡くなりました。

葬儀のあと、夫が言ったこと

葬儀のあと、夫は、わたしにこう言いました。

「由紀子。本当に、ありがとう」

「お前が、最後の3ヶ月、お袋のところに通ってくれなかったら、お袋は、お前のことを、誤解したまま、逝ったかもしれない」

「お袋、最後の3ヶ月で、本当に、ずっとよく笑ってくれた。お前のおかげだ」

35年連れ添った夫が、わたしに、ここまで強く感謝してくれたのは、初めてでした。

わたしも、夫に、こう返しました。

「わたしが、ありがとう。お義母さんと、3ヶ月、いい時間を、過ごせて、本当にうれしかった」

35年の淡い関係が、最後の3ヶ月で、深い関係に、なれました。

それは、義母にとっても、わたしにとっても、夫にとっても、最後の贈り物でした。

義母を失った今、わたしが思うこと

義母を失って、3年経ちました。

いまも、ふと、義母のことを、思い出します。

特に、義母が編んでくれた、わたしの誕生日プレゼントの、グレーのカーディガン。 これを、わたしは、いま、大事に、着ています。

義母は、わたしのために、最後の入院前に、編んでくれていたのです。 それを、夫が、葬儀のあと、義実家から持ち帰って、わたしに、渡してくれました。

「お袋、お前に、これを、と思って、編んでたんだよ」

夫の言葉に、わたしは、また、泣きました。

義母は、最後の数ヶ月、わたしのために、カーディガンを編んでくれていた。 わたしは、最後の3ヶ月、義母のために、毎週通った。

お互いに、お互いの最後の数ヶ月を、ちゃんと、大事にできた。

これが、35年の最後の、本当に、いい時間に、なりました。

同じ場面に立つ方へ

もし、いま、ご義母様(またはご義父様)の余命を、告げられた方がいらっしゃるなら、申し上げたいことが、ひとつあります。

これまでの関係が、淡くても、ぜひ、最後の数ヶ月、寄り添う時間を、作ってみてください。

「いまさら」と、感じるかもしれません。 「自分は、義母に嫌われている」と、思い込んでいるかもしれません。

ですが、わたしの経験では、義母は、最後の数ヶ月で、本当の気持ちを、ぽつりぽつりと、話してくれました。

35年の淡い関係が、3ヶ月で、深い関係に、変わることが、あります。

それは、義母にとっても、たぶん、長年待っていた、最後の時間です。

そして、その時間が、ご主人にとっても、あなた自身にとっても、35年で、いちばん、温かい記憶に、なります。

少なくとも、わたしと義母の場合は、そうでした。

なお、看取りに関わる時間や対応は、ご家族の状況、ご義両親の体調、地理的な距離で、大きく違います。具体的な看取りの進め方は、必ず医師やケアマネジャーさん、地域包括支援センターにご相談ください。

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#義母 #嫁姑 #看取り

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#60代 #義父 #お小遣い