夫婦
四月目の朝、娘が来た日のこと
夫が亡くなって四月目。私は毎朝、夫の湯のみにお茶を注いでいます。続きを書く前に、ひとつ告白させてください。私は、夫の湯のみが好きではありませんでした。それなのに、毎朝、注いでいます。日曜の朝にふいに来た娘が、それを見て、たぶん私より先に気づきました。68歳の私が、四十九日のあとに気づいた、いちばん厄介な感情の話です。
夫婦
夫が亡くなって四月目。私は毎朝、夫の湯のみにお茶を注いでいます。続きを書く前に、ひとつ告白させてください。私は、夫の湯のみが好きではありませんでした。それなのに、毎朝、注いでいます。日曜の朝にふいに来た娘が、それを見て、たぶん私より先に気づきました。68歳の私が、四十九日のあとに気づいた、いちばん厄介な感情の話です。
姑・嫁
認知症の義母を、夫と二人で看取りました。三週間のうちのどこか、たぶん二週目の終わりごろの朝に、義母が一度だけ、はっきりした声で「ごめんなさい」と言ったのです。何が、と私は聞きませんでした。それから半年、私はその一言の宛先を考えています。63歳になった私の、誰にも話していない記録です。
介護
5年の在宅介護、看取り3ヶ月の空白、1年目の儀式、そして3年。58歳で迎えた、母の三回忌の朝に書いた振り返り。介護で変わった自分と、いま元気な親を持つ50代の娘へ手渡したい『3年で見えたこと』のメモ。
熟年離婚
65歳でモラハラ夫と離婚し、3年が過ぎた今年の冬。長男から『お父さんが入院した』という電話が入った夜、私が一番先に思ったのは、悲しみでも安堵でもありませんでした。68歳の私が、誰にも言えなかった本当の気持ちを、夜だけそっと書き残します。
介護
5年の在宅介護のあと母を看取り、空白の3ヶ月を経て、1年が過ぎました。介護で削られた55歳の私が、空白の中でひとつだけ続けられた『夜の儀式』と、それで起きた小さな回復を、同じ道を歩む50代娘に静かに残します。
熟年離婚
70歳の誕生日の翌朝、台所に立ちながら『もう、終わりにしよう』と決めた。47年間、夫と子どもと孫のために生きてきた私が、自分のために朝食を作る最初の朝の話。何かを失う恐れと、それでも踏み出した私の3年間の記録。
熟年離婚
結婚38年、外では『優しい良い夫』。家の中での言葉の刃に、私は静かに削られ続けた。65歳、子どもたちが独立した翌年、私は離婚届を出した。離婚から3年経ったいまの暮らしと、後悔と、それでもこの選択は正解だったと言える理由を、すべて綴ります。
介護
5年の在宅介護の末に、母を看取りました。介護で削られ、看取って空白になった私が、いま振り返って思う『もっと早く知っていれば』の3つ。同じ道を歩む50代の娘へ、急ぎのメモを残します。
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