= COLUMN =
結婚記念日に夫が忘れた35年、わたしが続けてきたこと
結婚35年、夫はわたしたちの結婚記念日を、一度も覚えていたことがありません。最初の10年は怒っていました。次の10年は諦めていました。最後の15年、わたしは、自分のためにあるささやかなことを始めました。62歳のいま振り返って、結婚記念日との付き合い方を、書きます。
結婚記念日が、近づいています。
来月、わたしと夫は、結婚36年目を迎えます。
35年。
そのあいだ、夫は、わたしたちの結婚記念日を、一度も、覚えていたことが、ありません。
毎年、結婚記念日の朝、夫は、いつも通り、「いってきます」と出ていきます(現役時代)、または、「ゴルフ行ってくる」と出ていきます(退職後)。
その日が、わたしたちの結婚記念日だと、夫の頭の中には、まったく、ありません。
35年間、ずっと、そうでした。
今日は、その35年のあいだに、わたしの中で起きた、3つの時期の変化と、いま62歳のわたしが、結婚記念日に何をしているか、書きたいと思います。
最初の10年: 怒っていた時期
結婚して最初の10年、わたしは、結婚記念日に夫が何もしないことに、本気で、怒っていました。
特に、結婚5年目の日のことを、覚えています。
その日の朝、わたしは、ヒントを夫に出しました。
「あなた、今日、何の日か知ってる?」
夫は、しばらく考えて、こう答えました。
「えーと、何かの日か?子どもの予防接種の日とか?」
予防接種の日。
35年たっても、わたしは、あの瞬間の自分の気持ちを、忘れません。
その夜、わたしは、夫に強く言いました。
「今日は、わたしたちの結婚5周年だよ」
夫は、目を丸くして、「あ、忘れてた。ごめんごめん」と謝り、その夜、急いでケーキを買ってきました。
ケーキは、わたしの嫌いな、苺ショートでした。
35年前のその夜、わたしは、ケーキを半分残して、寝ました。
最初の10年は、ずっと、こんな感じでした。 毎年、わたしから「今日は結婚記念日」と告げて、夫は急ぎでプレゼントを買ってきて、わたしは不満を抱えたまま、それを受け取る。
「自分から覚えていてほしい」
これが、わたしの、当時の唯一の願いでした。
次の10年: 諦めていた時期
結婚10年〜20年は、わたしは、夫に期待することを、諦めていました。
「もう、この人は、結婚記念日を覚えない人なんだ」
そう、自分に言い聞かせて、わたしも、何もしなくなりました。
結婚記念日の朝も、夫に「今日、何の日か」と聞かない。 夫が忘れたままの夕食を、いつも通り出す。 夜、寝るときに「あぁ、今年も、結婚記念日が、ふつうの日として、過ぎた」と思って、寝る。
10年、それを続けました。
その10年、わたしの中で、結婚記念日は、「悲しい日」ではなく、「ただの日」に、変わっていきました。
ですが、これは、これで、もうひとつ、寂しい状態でした。
35年連れ添った夫婦の、結婚記念日が「ただの日」になっていく。
それは、ある意味、結婚そのものが、少しずつ、色を失っていくような感覚でも、ありました。
最後の15年: わたしのために、あること始めた
結婚20年目の朝、わたしは、ある決心をしました。
「夫に期待するのを、やめる代わりに、自分のために、結婚記念日に、ある小さなことを始めよう」
それは、こんなことでした。
結婚記念日に、わたしがやり始めた3つのこと
ひとつめ、自分のためだけに、ケーキを1切れ買う。
夫が何もしない代わりに、わたしが、自分のために、ケーキを1切れだけ、ケーキ屋さんで買います。 苺ショートではなく、わたしの大好きな、チョコレートケーキ。 夫の分は、買いません。
夕方、夫が帰ってくる前に、わたしひとりで、紅茶を入れて、そのチョコレートケーキを、ゆっくり、食べます。
夫には、何も言いません。
これが、わたしの、年に1回の、自分への贈り物です。
ふたつめ、その日の写真を、1枚撮る。
結婚記念日の朝か昼に、わたしひとりの、その日の自分の写真を、1枚、自撮りで撮ります。
35歳の頃から、毎年、撮り続けています。 今年で、26枚目になります。
26枚を並べると、自分の老いの記録です。 ですが、それは、嫌な記録ではなく、「ちゃんと、ここまで、生きてきたね」という、わたしへのねぎらいの記録です。
みっつめ、その年の自分への手紙を、書く。
結婚記念日の夜、わたしは、自分宛に、1枚の手紙を書きます。
「今年の自分へ。今年も、いろいろあったね。お疲れさま。来年も、よろしくね」
それだけです。
A4の便箋1枚。 書いたら、引き出しの一番奥に、しまいます。
15年分の手紙が、引き出しに溜まっています。
夫が、ある年、初めて気づいた
実は、結婚31年目の朝、夫が、初めて、わたしたちの結婚記念日に、気づきました。
きっかけは、わたしが、その日の朝、台所のテーブルに、自分用に買ったチョコレートケーキの空き箱を、忘れて置いていたことでした。
夫が、その空き箱を見て、「これ、何?」と聞きました。
わたしは、いつものように、こう答えました。
「あら、わたしの好きなケーキ。ひとりで食べたの」
夫は、その空き箱を、じっと見て、こう言いました。
「あれ、今日って、もしかして、結婚記念日?」
わたしは、ぽかんとしました。
夫が、自分で、気づいたのです。
31年で、初めて。
その夜、夫は、駅前のケーキ屋さんで、わたしのために、もうひとつのチョコレートケーキを、買ってきてくれました。
「お前、ひとりで食べてたんだろ。俺の分も、買ってきたよ」
わたしは、笑いました。
夫は、わたしの「自分への贈り物」を、結局、気づいてくれたのです。
15年も、続けて、よかった、と思いました。
それから3年、夫は半分くらい覚えるようになった
31年目以降、夫は、わたしたちの結婚記念日を、半分くらい、覚えるようになりました。
完全には、覚えていません。 時々、忘れることも、あります。
ですが、ふと、結婚記念日の前日や、当日の朝に、こう聞いてくれることが、あります。
「お前、明日(or 今日)、何かなかったっけ」
それで、十分です。
35年連れ添った夫が、半分でも、思い出してくれるようになった。 それは、わたしの、15年の「自分への小さな儀式」が、夫の心の片隅にも、何かを残してくれたから、なのかもしれません。
結婚記念日は、誰のためのものか
35年、わたしが学んだのは、こうです。
結婚記念日は、夫(または妻)に祝ってもらうための日では、ありません。
結婚記念日は、自分自身に「あなたは、35年、よくがんばってきたね」と、ねぎらう日なのです。
夫が祝ってくれなくても、自分で、自分を祝う。
これができるようになると、結婚記念日が、「夫への期待」から「自分へのご褒美」に、変わります。
そして、不思議なことに、自分を自分で祝えるようになると、夫も、いつか、それに、気づくのです。
35年で1回、それが起きました。
「気づいてくれた」が、35回中1回でも、十分でした。
結婚記念日に、何もしない夫を持つ方へ
もし、いま、結婚記念日に、ご主人が何もしないことに、傷ついている方がいらっしゃるなら、申し上げたいことがあります。
ご主人に期待するのを、いったん、やめてみてください。
その代わり、自分のために、年に1回の小さな儀式を、始めてみてください。
好きなケーキを、1切れ買う。 1枚、自分の写真を撮る。 自分宛の手紙を、1枚書く。
たった、それだけです。
15年続けると、たぶん、ご主人も、いつか、何かに気づきます。
気づかなくても、構いません。
その15年で、あなたは、自分自身を、ちゃんと祝った人になっています。
それが、何よりの、結婚記念日の意味です。
来月、わたしは、結婚36周年。
今年も、ひとりで、チョコレートケーキを買ってきます。
そして、26枚目の自撮り写真を、撮ります。
15年目の手紙を、書いて、引き出しの奥に、しまいます。
夫が気づくか、気づかないか。 それは、もう、わたしには、関係ありません。
わたしは、自分のために、26年目の結婚記念日を、ちゃんと、迎えます。
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