= COLUMN =
孫の運動会、義姉夫婦と並んで座った日のこと
孫の小学校の運動会で、わたしと夫、義姉夫婦、義姉の長女夫婦と、その孫(姪の子)の7人が、ひとつのレジャーシートに並んで座りました。義姉と並んで座るのは、30年の結婚生活で初めて。その3時間で、義姉と初めて、義両親が亡くなった後の話をできた、ある秋の日の記録です。
去年の秋の土曜日、孫の小学校の運動会でした。
孫の母親(わたしの娘)が、わたしと夫を、運動会に招待してくれました。 そして、わたしたちが行ってみると、もうひとつのレジャーシートに、義姉夫婦と、その長女夫婦と、その小学生の孫(つまりわたしの孫の従兄弟)が、座っていました。
「いとこ同士、同じ小学校の同じ学年なんだよ」と、娘が教えてくれました。
つまり、わたしの孫と、義姉の長女の子は、いとこで、たまたま、同じ小学校に通っていたのです。
そして、ふたりとも、その日、別々の組の選手として、運動会に出るのです。
「お姉さん、お久しぶり」
わたしは、義姉に、ぎこちなく挨拶しました。
義姉は、にっこり笑って、「あらー、由紀子さん。いらっしゃい」と返してくれました。
そして、わたしと夫は、義姉夫婦のレジャーシートの隣に、自分たちのレジャーシートを敷きました。
ふと、隣の義姉夫婦のシートを見ると、義姉が、わたしのほうに、こう声をかけてくれました。
「ねえ、レジャーシート、わざわざ2枚にしなくても。うちの、大きいから、おいでよ」
義姉のレジャーシートは、確かに、6人分くらい広い、大きなものでした。
わたしと夫は、義姉のレジャーシートに、お邪魔することにしました。
そこから、3時間。
30年の結婚生活で、わたしと義姉が、これだけ長く、ふたり並んで座ったのは、初めてでした。
結婚30年、義姉との距離
夫の姉である義姉は、結婚以来、わたしより7歳上で、今72歳。
わたしと義姉は、特に仲が悪いわけではありませんが、特に親しいわけでも、ありませんでした。
義両親が元気だった頃は、お盆と正月の集まりで、年2回顔を合わせる程度。 それぞれの家庭で会話することは、ほぼなく、義両親の話題でつなげていた、という感じでした。
義両親が亡くなってからは、年賀状だけのおつき合いになっていました。
「特に話すことがない関係」、それが、義姉とわたしの30年でした。
そんな相手と、孫(うちと義姉の家両方の孫)が、たまたま、同じ小学校に通っていた、というだけで、運動会の3時間、並んで座ることになりました。
最初の30分、ぎこちなかった
最初の30分、わたしと義姉は、ぎこちなかったです。
「お元気でしたか」 「孫が大きくなりましたね」 「お天気が良くてよかったわね」
ぜんぶ、当たり障りのない、表面的な会話でした。
レジャーシートの上で、わたしと夫、義姉と義兄、義姪夫婦、6人がぎこちなく座っている、というのが、その時の景色でした。
孫たちの徒競走が始まって、わたしの孫が走り、義姉の孫(義姪の子)も走り、それぞれの順位を、わたしたちは応援しました。
走り終わって、孫たちが、それぞれの家族のもとに、走り寄ってきました。
その時、ふたりの孫が、お互いに、こう言い合いました。
「あ、〇〇くん、いとこ?」 「うん、いとこ。よろしく」
孫たちは、たぶん、お互いの存在を、それまで深く意識していなかったのです。
ふたりが、レジャーシートの真ん中で、自然に並んで、お互いの順位を見せ合っているのを見て、わたしと義姉は、ふっと、お互いの顔を見ました。
そして、お互いに、笑いました。
その瞬間に、ぎこちなさが、ぽろっと、消えました。
お弁当の時間、義姉が話してくれたこと
お昼の時間、お弁当を、それぞれの家族で出しました。
わたしと夫は、娘が作ってくれたお弁当を一緒に食べました。 義姉夫婦は、義姪夫婦が作ったお弁当を、孫と一緒に食べていました。
お昼の途中、義姉が、わたしの隣に来て、こう言いました。
「ねえ、由紀子さん。ちょっと聞いていい?」
そして、義姉は、ぽつりと、こう続けました。
「お父さんとお母さん(義両親)が亡くなって、もう5年でしょ。あなた、寂しい時とか、ある?」
え、と、わたしは驚きました。
義姉から、義両親についてのこんな会話を、わたしに振られるのは、本当に初めてだったのです。
わたしは、お弁当のご飯粒を1粒、口に入れて、しばらく考えてから、答えました。
「実は、たまにあります。お盆の集まりがなくなってから、特に」
義姉は、こう続けました。
「わたしもね。最近、ふっと、お父さんの顔が浮かぶの。元気な頃の」
72歳の義姉が、わたしの隣で、お弁当を食べながら、義両親の話をしてくれたのです。
「あの時、お父さんが亡くなった葬儀のあと、わたしとあなたで、もう少し話していたら、と、たまに思うのよ」
義姉が、そう言いました。
わたしも、同じことを、思っていました。
5年前、義両親が亡くなった時、わたしと義姉は、葬儀の慌ただしさのなかで、お互いに、本音を話す時間が、なかったのです。
それから5年、お互いに、本音を話す機会が、来なかった。
来たのは、孫の運動会の、レジャーシートの上、お弁当の時間でした。
30年で初めて、義姉と本音で話した3時間
午後の競技が始まって、孫たちが、また、走ったり、玉入れをしたり、リレーをしたり、しました。
その合間、わたしと義姉は、レジャーシートの上で、ずっと話していました。
「お母さん(義母)、最後の3年、本当に大変だったわね」(義母は認知症で亡くなりました) 「あなたが、毎週通ってくれてたの、お母さん、覚えてないかもしれないけど、本当はすごく分かってたと思うよ」 「義姉さんも、お母さんのお墓参り、毎月行ってくれてるのよね。本当にありがとう」 「いいのよ、家が近いから。あなたは遠いから、無理よ」
30年で、わたしと義姉が、こんな話をしたのは、初めてでした。
義両親が生きていた間、わたしと義姉は、お互いに「義両親のこと」について、お互いの目の前では、ほとんど触れなかったのです。
なぜか。
たぶん、お互いに「自分のほうがもっとやっている」と感じていて、それを口に出すと、相手を責めることになる気がしていたから、です。
ですが、義両親が亡くなって5年、お互いに「もう、競争する必要は、ない」と感じられるようになりました。
そして、お互いに「相手も、それぞれに、義両親のことを、抱えていた」ことを、初めて、認め合えたのです。
帰り際、義姉が言ったこと
夕方、運動会が終わって、片付けをしながら、義姉がわたしに、こう言いました。
「ねえ、由紀子さん。これからね、お正月の集まりがなくなったでしょ。代わりに、年に1回、わたしと由紀子さんで、お茶しない?」
「義両親はもういないけど、わたしと由紀子さんは、まだ、家族でしょ」
「家族でしょ」。
72歳の義姉が、わたしに、そう言ってくれたのです。
わたしは、ぐっと胸が熱くなって、こう答えました。
「はい。お姉さん。お会いしましょう」
それから半年。
わたしと義姉は、年明けに、お茶を1回しました。 今度の夏、もう1回、お茶することを、約束しています。
30年、淡かった義姉との関係が、孫の運動会のレジャーシートの3時間で、ぐるりと変わったのです。
義両親が亡くなったあと、義姉妹との関係
義両親が亡くなったあと、義姉や義妹との関係は、自然に、淡くなりがちです。
「義両親」という、共通の話題が消えるからです。 そして、お盆や正月の集まりも、なくなることが多いからです。
ですが、義姉や義妹は、夫の血のつながった姉妹であり、わたしと血ではつながっていなくても、30年、ずっと、義両親を支えてきた仲間でも、あります。
その「仲間」感を、義両親が亡くなった後にも、形にできるかどうか。
それが、60代以降の、義姉妹との関係の、大きな分かれ目だと思います。
わたしと義姉は、運動会という、思いがけないきっかけで、それを形にできました。
ですが、運動会のような偶然がなくても、こちらから一歩、声をかけてみれば、義姉や義妹も、同じ気持ちでいる可能性が、たぶん、あります。
同じ立場の方へ
もし、いま、義両親が亡くなって、義姉や義妹との関係が、自然に淡くなっている60代の方がいらっしゃるなら、申し上げたいことがあります。
年に1回、お茶のお誘いを、こちらからしてみてください。
「義両親は、もういませんけど、また、お会いしたいです」
そう書いたハガキ、または、ショートメールを、送ってみてください。
返事は、来るかもしれないし、来ないかもしれない。 ですが、来た場合、たぶん、義姉や義妹も、同じ気持ちで待っていてくれていたことに、気づくはずです。
30年淡かった関係が、たった1通のお誘いで、ぐるっと変わることが、あります。
少なくとも、わたしと義姉の場合は、変わりました。
そして、72歳の義姉から「家族でしょ」と言ってもらえた、あの瞬間は、わたしの60代のなかで、いちばん温かい瞬間のひとつ、になっています。
この話を分かち合う