ヨバナシ —女たちの秘密会議
コラム

= COLUMN =

四月目の朝、娘が来た日のこと

ヨバナシ編集部 読了 約5分

夫が亡くなって四月目。私は毎朝、夫の湯のみにお茶を注いでいます。続きを書く前に、ひとつ告白させてください。私は、夫の湯のみが好きではありませんでした。それなのに、毎朝、注いでいます。日曜の朝にふいに来た娘が、それを見て、たぶん私より先に気づきました。68歳の私が、四十九日のあとに気づいた、いちばん厄介な感情の話です。

ひとつ、告白させてください。

私は、夫の湯のみが、好きではありませんでした。

夫が温泉土産で勝手に買ってきたもので、外側に金縁が入っていて、ふちが少し欠けていて、重いのです。重い湯のみを愛用する男の人って、たぶん、家のなかでも重いのです。結婚44年、私は何度かそれを割ろうとしました。流しに置いたまま、洗わずに2日放置したこともあります。捨てようかな、と思ったことも、一度や二度ではありません。

朝の二つの湯のみ

それなのに、夫が亡くなって四月目の今朝も、私はその湯のみにお茶を注いでいます。

それも、ひと口ぶんだけ少なめに、夫が好きだった温度になるまで冷ましてから、テーブルの夫の席に置いています。夫はもういないのに、44年の手の動きが、勝手に、毎朝それをやるのです。

これだけなら、未亡人の哀しい習慣、と書けるかもしれません。

問題は、私自身が、その習慣を、続けたいのか終わらせたいのか、自分でもよくわからない、ということです。

日曜の朝の光

四月目の日曜の朝、9時すぎに、娘がふいに家に来ました。

孫の参観日が近所であった、その帰りに寄った、と娘は言いました。私はもう朝食を済ませていて、テーブルの上には湯のみが二つ。夫のぶんは、まだ冷めきっていませんでした。

娘は私の隣の椅子に座って、しばらく何も言いませんでした。

「お母さん」と娘が口を開きました。「お父さんの湯のみ」

そこで言葉が止まりました。続きを言わないのです。

私は娘の顔を見ました。娘は湯のみを見ています。

「あ」と私は言って、それきり何も言えませんでした。

不思議なことに、私はそのとき、ばつの悪さよりも、苛立ちのほうを先に感じました。

娘に対してではありません。夫に対して、です。

44年連れ添ってきて、亡くなって四月目に、こうやって娘に気づかれて、自分が何をしているのかも答えられない、その状態にしたのが夫だ、という気がしたのです。亡くなった人のせいにするのは筋違いだと、頭ではわかっています。けれども、その朝の流しに、私は45分前に、夫のぶんの冷めたお茶を捨てたばかりでした。

「お父さん、最近来てないでしょ」と娘が言いました。

「うん」と私は答えました。

来てない、というのは、夢に出てこない、という意味です。娘は、私が夫の夢を見ているかどうかを、葬儀のあとずっと心配しています。

「来てないよ」と私はもう一度言いました。

「そっか」と娘は言って、それから孫の参観日の話を始めました。算数の発表が上手だった、給食でひじきが出た、たぶん10分くらいです。私はうなずいていたと思います。何を聞いていたのか、よく覚えていません。

流しの前で

娘が帰ったあと、流しの前に立って、私は夫の湯のみを洗いました。スポンジの泡が、欠けたふちの溝にたまります。指で押し出します。お湯で流します。指で確認します。布巾で拭きます。

44年やってきた動作です。けれどもその朝、私は初めて、自分がこの湯のみを愛おしんで洗っていることに気づきました。

好きじゃないのに、です。

布団に入ってから、その「好きじゃないのに」を、何度も思い返しました。

夫のことが嫌いだった、わけではありません。湯のみのことが嫌いだった、それも嘘ではないのです。好きではない物を、毎朝、好きだった人のために、注いで、洗って、戻す。それは何かと言ったら、なんなのでしょう。

44年の習慣、ではありません。

愛、でもありません。

哀しみ、では、たぶんないと思います。

執着、と書こうとして、違うと思いました。

「責任」、という言葉がふいに浮かんで、それがいちばん近い気がして、自分でも驚きました。

夫を好きでも嫌いでも、私はあの湯のみを、毎朝、扱う責任がある。44年連れ添ったというのは、たぶん、そういうことなのです。気持ちの問題ではなく、毎朝の手の動きの問題なのだと思います。

そう思った瞬間、少しだけ、肩から力が抜けました。

翌朝の窓辺

翌朝、私はやはり湯のみを二つ並べました。

夫のぶんに、ひと口ぶん少なめに、お茶を注ぎました。

冷めるのを、待ちました。

待ちながら、私は自分のお茶を飲んで、新聞を半分だけ読みました。猫舌だった夫のお茶は、こちらが読み終わるよりも先に、たぶん飲める温度になっていたと思います。それを流しに持っていって、私は声に出して言いました。

「ごめんね、好きじゃなくて」

湯のみに言ったのか、夫に言ったのか、自分でもわかりませんでした。

娘から、その日の昼ごろ、LINEが来ました。

「お母さん、無理しないでね」

私は「無理してない」と返しました。

嘘ではないつもりで、書きました。書きながら、これは嘘なのかもしれない、と思いました。

68になって、自分のついた嘘が、嘘なのかどうか、それすらも、ぼんやりしています。

決められないことが、人生にはあるものです。

夫の湯のみは、まだ食器棚の真ん中に、私の湯のみと並んで、置いてあります。

明日もたぶん、私はそこから二つ、取り出すと思います。


夫が亡くなったら60代妻の生活はどう変わる?遺族年金の月額と義実家問題、最初の7日間姻族関係終了届『死後離婚』のすべて熟年離婚を考えはじめた50〜60代妻の完全ガイド三週間目の朝、義母が言ったこと / ヨバナシ「みんなの夜話


※本コラムは、ヨバナシ編集部が複数の60代女性への取材をもとに、フィクション化した一人称体験談です。プライバシー保護のため、登場人物・年齢・状況に修正を加えています。

= 関連する夜話 =

夫婦

夫の遺品整理を半年で進めた、わたしの3つのコツ

夫を看取って半年が経ち、わたしは夫の遺品整理を、ようやく始めました。68歳のひとり身で、ひとりで進めるしかない遺品整理を、半年でどうやってまとめたか、3つのコツをお伝えします。専門業者への依頼、家族との話し合い、自分のペースの守り方。同じ立場の方への、実際の手順としての記録です。

#60代 #遺品整理 #死別

夫婦

亡くなった夫の手紙、わたしが20年見つけられなかった理由

20年前、夫が68歳で亡くなった後、わたしは夫の遺品整理を、半年で進めました。ある書斎の引き出しの奥に、夫がわたしに宛てた、未送信の手紙が、1通入っていたことを、わたしは20年見つけられませんでした。88歳のわたしが、ようやくその手紙を見つけて、夫の本当の気持ちを、知った話を、お伝えします。

#60代 #夫 #手紙

夫婦

夫が定年退職した日、わたしが用意した3つのもの

夫が65歳で定年退職する日の朝、わたしは3つのものを、ひっそりと用意しました。お赤飯でも、花束でも、退職祝いの品でもない、3つのもの。35年連れ添った夫の、この先の暮らしを、わたしなりに支えたかったのです。退職から1年たって、その3つが、本当に役立ったかを、振り返って書きます。

#60代 #定年退職 #夫婦

夫婦

夫の浮気を疑った後、わたしたち夫婦が決めた5つのルール

63歳のとき、わたしは夫の浮気を3ヶ月疑い続けて、すべて勘違いだったとわかりました。そのあと、夫とふたりで決めた、5つのルール。お金、出かける予定、疑いが生まれたとき、すれ違ったとき、相手の家族。今、わたしたち夫婦が守っている、関係を整え直すための具体的なルールをお伝えします。

#60代 #夫婦 #ルール