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夫の認知症前夜、わたしが書き始めた家族の記録
69歳の夫に、認知症の初期症状が、見え始めました。65歳のわたしは、夫のことを、いま、書き残しておきたい、と思い、ある日、家族の記録を、書き始めました。夫が忘れていく前に、わたしが覚えておきたい、35年のこと。書くと決めた夜と、書き始めて1年経った今を、お伝えします。
69歳の夫に、認知症の初期症状が、見え始めました。
きっかけは、去年の夏のある朝でした。
夫が、台所で、お茶を入れようとして、ふと、こう聞いてきました。
「お茶のティーバッグ、どこにあるんだっけ」
40年、同じ家に住んでいる夫が、ティーバッグの場所を、聞いたのです。
最初は、わたしも、「あら、忘れたの」と、軽く受け止めました。
ところが、それから数ヶ月、夫の小さな「忘れ」が、増えていきました。
- いつも飲んでいる薬を、朝、飲み忘れる
- 昨日の夕食のメニューを、覚えていない
- ゴルフ仲間の名前を、ぱっと出てこなくなる
- スマホの操作で、毎日、わたしに同じことを聞く
ぜんぶ、それぞれは、小さなことです。
ですが、ぜんぶ重なると、わたしには「もしかしたら」が、見えてきました。
医師の診断を、今年の春に、受けに行く予定です。
ですが、その前に、わたしは、決めたことがあります。
夫の認知症が、本格的に進む前に、夫のことを、ちゃんと書き残しておこう、と。
去年の冬、わたしは、家族の記録を、書き始めました。
書こうと決めた、ある冬の夜
書こうと決めた夜のことを、覚えています。
去年の12月、夫が、夕食のあと、リビングのソファで、テレビを見ながら、こう言いました。
「俺、最近、なんか、頭が、ぼんやりするんだよな」
わたしは、お皿を洗う手を止めて、夫の隣に座りました。
「お父さん」(わたしは、結婚以来、夫を「お父さん」と呼んでいます)
「お父さん、もし、お父さんが、これからいろんなことを忘れていくかもしれないなら、わたしが、お父さんのこと、ぜんぶ、書き残しておくね」
夫は、しばらく、わたしの顔を見ていました。
そして、こう答えました。
「ありがとう。それ、お前が書いてくれるなら、安心だ」
その夜から、わたしは、家族の記録を、書き始めました。
書いたもの① 夫のこと(夫の章)
最初に書いたのは、夫のことでした。
A4の便箋に、こんなことを書きました。
- 夫の生まれた家のこと
- 夫の両親(義両親)のこと
- 夫の兄弟(姉と弟)のこと
- 夫の小学校・中学校・高校・大学のこと
- 夫の社会人生活のこと(35年)
- 夫の趣味の変遷(若い頃の鉄道、今のゴルフ)
- 夫が、好きな食べ物
- 夫が、苦手な食べ物
- 夫が、よく行く場所
- 夫が、大事にしているもの
ぜんぶで、A4で12枚になりました。
書いていて、何度も泣きました。
夫の人生を、こうやって紙にまとめると、本当にたくさんのことが、35年で起きていた、と分かるのです。
そして、夫の人生の半分以上を、わたしが、隣で、見てきていた、ということも、改めて、気づきました。
書いたもの② わたしと夫の出会いから今までの記録
ふたつめは、わたしと夫の、35年の歴史でした。
- 結婚前のお見合いのこと
- 結婚式の朝のこと
- 新婚旅行のこと(ハワイの記憶)
- 息子が生まれた日のこと
- 息子の七五三、入学、卒業のこと
- 夫の転勤と、引っ越しのこと
- 義父が亡くなったときのこと
- 義母が亡くなったときのこと
- 夫の定年退職の日のこと
- 息子の結婚式のこと
- 孫が生まれたときのこと
これも、A4で15枚になりました。
35年で、こんなにたくさんのことが、起きていたのです。
そして、これらのほとんどを、わたしと夫だけが、共有しています。 息子は、自分が生まれる前のことは、知りません。 他の親族も、わたしと夫だけのことは、知りません。
わたしが、忘れずに、書き残しておかなければ、消えてしまうのです。
書いたもの③ 夫が、わたしに語ってくれた、若い頃の話
3つめは、夫が、わたしに語ってくれた、夫の若い頃の話です。
夫は、もともと、自分のことを、あまり話しません。
ですが、35年連れ添う中で、ぽつりぽつりと、夫が、わたしに、若い頃の話を、してくれていました。
- 中学のとき、最初に好きになった女の子のこと
- 高校のとき、夢中になった野球部のこと
- 大学のとき、ひとり旅で行った北海道のこと
- 社会人最初の上司に、教わったこと
- 会社の同期で、いちばん仲のよかった人のこと
これらは、たぶん、夫が、自分のお葬式のときに、他の人に話されたら、嫌だな、と思うような、ささやかな話です。
ですが、わたしは、これらを、夫に、いつか、もう一度、読んで聞かせたいのです。
夫が、自分の若い頃を、忘れてしまった日に、わたしが、夫の代わりに、覚えていたい。
書いたもの④ わたしが、夫に「ありがとう」と思った、35年のことリスト
4つめは、わたしが、夫に「ありがとう」と思った、35年の出来事リストです。
これも、A4で5枚ほど書きました。
- 結婚式の朝、わたしの母に「お母さん、由紀子を、よろしく」と言ってくれた夫
- 息子が高熱を出した夜、徹夜で看病してくれた夫
- わたしの父が亡くなった日、わたしを抱きしめてくれた夫
- わたしが熟年離婚を考えた時期、わたしの話を、1時間聞いてくれた夫
- 定年退職した日、わたしが用意した3つのものに、「お前、これいつ作ったんだ」と感心してくれた夫
35年のあいだに、夫がしてくれた、たくさんのこと。
これらを書き出すと、わたしの中で、夫への感謝が、もう一度、湧いてきます。
書いたもの⑤ これから書きたいこと
書き始めて、1年。
まだ書き終わっていません。
これから書きたいことが、たくさん、あります。
- 夫が、もし入院することになったら、医師に伝えたい夫の好み・薬の飲み方
- 夫が、もし施設に入ることになったら、施設のスタッフに伝えたい夫の人柄
- 夫が、もし話せなくなったら、わたしが夫の代わりに、息子と話したいこと
- 夫が、もし、わたしを認識できなくなったら、わたしが夫に伝えたい、35年の感謝
これらは、まだ書いていません。
ですが、いつか、書きます。
夫が、認知症で、自分のことを、語れなくなる前に。
書いていて、気づいたこと
1年書いていて、わたしが、深く気づいたことが、3つあります。
ひとつめ、書くことで、わたし自身が、夫のことを、深く理解し直している。
夫の人生を書きながら、わたしは、夫のことを、新しい目で、見られるようになりました。 夫が、なぜ、こういう人なのか、35年連れ添って、ようやく、わかるようになったのです。
ふたつめ、夫が、認知症になっても、わたしの中の夫は、消えない。
書き残すことで、夫の人格は、わたしの中に、紙の上に、確実に、残ります。 夫が、自分のことを、忘れていっても、わたしが、覚えています。
みっつめ、書くことで、わたし自身の、心の準備ができる。
これから、夫の認知症が、本格的に進むかもしれません。 そのときに、わたしは、慌てふためかないで、夫を支えられるように、いま、準備をしています。 書くことが、その準備に、なっています。
同じ立場の方へ
もし、いま、ご主人(または奥さま)に、認知症の初期症状が見え始めて、不安を感じている方がいらっしゃるなら、申し上げたいことが、ひとつあります。
書き始めてみてください。
ご主人の人生を、ご主人と一緒に、書き残してみてください。
ご主人が、忘れていく前に。
これは、ご主人を「失う準備」では、ありません。 ご主人を「ずっと、自分の中に、残す準備」です。
そして、書くことが、ご夫婦の最後の数年を、ぐっと、深いものに、してくれます。
夫が、わたしに、書き始める許可をくれた、あの夜から、1年。
わたしと夫の関係は、35年で、いちばん、深いものに、なっています。
来月、医師の診察を受けます。 診断が、認知症だったとしても、わたしには、書き始めた25枚のノートが、あります。
そのノートが、わたしと夫の、これからの数年を、ずっと、支えてくれるはずです。
なお、認知症の進行や、診断、対応は、それぞれのご家庭で、大きく違います。具体的な対応は、必ず医療機関や、地域包括支援センターにご相談ください。
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