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モラハラ夫、もう限界。38年我慢して65歳で熟年離婚した結果
結婚38年、外では『優しい良い夫』。家の中での言葉の刃に、私は静かに削られ続けた。65歳、子どもたちが独立した翌年、私は離婚届を出した。離婚から3年経ったいまの暮らしと、後悔と、それでもこの選択は正解だったと言える理由を、すべて綴ります。
夫が玄関を出ていくたびに、私は深く息を吐きました。
外では「優しいご主人」「腰の低い、あの会社の役員さん」。家の中では、私が淹れたお茶の温度から、夕食の盛り付け、テレビの音量まで、毎日数えきれないほどダメ出しをする人、それが、私の38年連れ添った夫でした。
殴られたことは、一度もありません。怒鳴られることも、ほとんどなかった。それが、誰にも分かってもらえない辛さの、たぶん一番の理由でした。
「お前、また◯◯のやり方間違えてるよ。普通、こうするよな?」
普通、この言葉に、私は38年、削られ続けたのです。
これは、65歳で熟年離婚を決断した、私一人の話です。誰にも勧めていません。ただ、同じ夜を過ごす誰かに、届けばいいと思って書いています。
全体像から把握したい方へ:この記事は「熟年離婚・夫婦」シリーズの一部です。離婚・卒婚・死別の判断、年金分割、住まい、弁護士の選び方までを8場面で整理した 熟年離婚を考えはじめた50〜60代女性の完全ガイド もあわせてどうぞ。
始まりは、新婚の夕食だった
結婚した最初の月、私が作った肉じゃが。夫は一口食べて、箸を置きました。
「僕の母さんはこんな味じゃなかった」
それだけ。一言だけ。喧嘩にもならず、ただ食卓が冷えていく感覚を、20代の私は受け止めきれませんでした。
その日から、私は「夫の母の味」を真似ることに人生を費やすようになりました。義母に電話して教わって、何度も作り直して、ようやく合格点が出る、という繰り返し。
「私が至らないから」「もっと頑張ればきっと夫も褒めてくれる」。そう自分に言い聞かせて、20年が過ぎました。
子育て中も、削られ続けた
長女が生まれて、夜泣きで眠れない日。授乳しながら朝食を作る私に、夫はこう言いました。
「普通、母親は赤ん坊を泣かせないだろ?お前、何やってんの」
授乳室で泣いた、あの日のことを、いまも夢に見ます。
子供が学校でトラブルを抱えて、私が動転していると:
「お前が母親としてしっかりしてないから、子供がそうなるんだよ」
子供の進学が決まった時:
「俺の遺伝子のおかげだな。お前の家系は大したことないから」
すべて、笑いながら、軽い口調で。冗談の皮を被った刃物、これがモラハラの正体だと、何十年も経って、ようやく私は気づきました。
「離婚」という言葉が頭をよぎった瞬間
50代に入って、子供たちが独立しはじめた頃のことです。
長女から電話がありました。
「お母さん、あの人と一緒にいて、本当に楽しい?」
私は何も答えられませんでした。電話を切ってから、静かなリビングで、小一時間泣きました。
私の人生って、何だったんだろう。夫に認めてもらうために、38年、何を削ってきたんだろう。
その日、私は初めて「離婚」という二文字をノートに書きました。書いてすぐ、ぐしゃぐしゃに丸めて捨てました。まだ、勇気がなかったのです。
「準備に2年かけた」という結論
55歳から、私はひそかに準備を始めました。
やったこと
- パートを再開(週3日、月7万円)
- 自分名義の口座を新しく開設、毎月3万円ずつ貯蓄
- 法テラスで初回無料相談:年金分割・財産分与の見込み額を確認
- 離婚後の住居候補として、近くの公営住宅の申請資格を調べる
夫には何も言わず、表向きは普段通り。「お前、最近働きすぎなんじゃないか」と笑われたこともありました。
退職金が振り込まれた、その日
夫の退職金が口座に振り込まれた、銀行の通帳記入で確認した日が、私の決断の日でした。
その夜、私は書斎にいる夫のところに、緑茶を持っていきました。
「あなた、大事な話があります。私は、これからの人生を一人で生きていきたいと思っています」
40年近い結婚生活で、初めて自分の言葉で要望を伝えた瞬間でした。
夫は、最初は黙って、それから笑って、それから怒って、最後に「お前なんかどうせ生きていけない」と言いました。
私は、もう泣きませんでした。
離婚から3年、いまの暮らし
65歳で離婚届を出した私は、いま68歳。地方都市の小さなマンションに、一人で住んでいます。
月の収入と支出
- 遺族年金代わりに分割された厚生年金:月5.2万円
- 私自身の老齢年金:月7.1万円
- パート(月3日):月4.5万円
- 合計:月16.8万円
支出は月14万円ほど。月3万円弱、毎月貯金できるようになりました。
財産分与で受け取った1,400万円は、手をつけずに定期預金にしてあります。「いつか体が動かなくなったとき」のため。
朝起きて、紅茶を淹れる時間
朝、自分のためだけに紅茶を淹れる、これが、いまの私の最高の贅沢です。
夫がいる頃は、夫が起きる前にすべてを済ませるのが常でした。お湯の温度から、注ぐ角度から、ティーバッグの抜くタイミングまで、すべて夫の好みに合わせて。
いまの紅茶は、私の好きな温度で、私の好きな速さで、私の好きなマグカップで飲んでいます。
後悔と、それでも正解だった理由
後悔しているのは「もっと早く決断していれば」
55歳ではなく、45歳で離婚していたら、もう少し体力があっただろう。
35歳で離婚していたら、子供たちと一緒に過ごす時間を、夫の機嫌に左右されない時間にできただろう。
でも、これは「タラレバ」。45歳の私には、たぶんまだ勇気がなかった。65歳の私だからこそ、決断できた、とも思います。
子供たちの反応
長女は離婚届を出した翌日、家に来て、私を抱きしめてくれました。
「お母さん、ずっと言いたかったんだ。でも、お母さんが決断するまで、待ってた」
次女は遠方から電話で:
「お母さん、お疲れさま。やっとお母さんの人生が始まったね」
長男は何も言わず、3日後に「これ、新しい家のお祝い」と、家電量販店のギフトカードを送ってきました。
子供たちは、ずっと知っていたのです。私が我慢していることを、見ていたのです。
いま、夫はどうしているのか
直接の連絡は、もう3年取っていません。長男から間接的に聞く話では、夫は家事ができず、近所のスーパーの惣菜と外食で食いつないでいるらしいです。
「かわいそう」と思う自分も、まだいます。40年、一緒にいたのですから。
でも、戻る選択肢は、もうない。
同じ夜を過ごしているあなたへ
「離婚すべきです」とは、私からは言えません。離婚は、経済・健康・家族関係の3つが揃わないと、もっと辛い結果になることもあります。
でも、もしあなたが毎日、夫の言葉で削られているなら。
今夜、たった1つだけやってほしいこと
ノートに、夫から言われた言葉を、書いてみてください。
冗談だと言われたあの言葉。「お前のため」と言われたあの言葉。書いてみると、それが冗談ではなかったことが、自分でもわかります。
そして、ノートを誰にも見せない引き出しの奥に隠してください。
そのノートが100ページになる頃には、あなたは何かを決められる人になっているはずです。
私は、3冊のノートを書きました。3冊目を書き終えた日に、初めて法テラスに電話しました。
相談窓口
- 法テラス:収入条件で無料法律相談(DV・モラハラもOK)
- 全国女性シェルターネット:危険を感じたら避難所
- 配偶者暴力相談支援センター(DV相談+:0120-279-889)
- 地域の心療内科・カウンセリング:心が削られているサインがある時
このシリーズの次の話
- 第2話:離婚3年。元夫が入院したと連絡が入った夜、68歳の私が一番先に思ったこと — 離婚3年後の予期せぬ局面
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もし、いまあなたが「私だけじゃないんだ」と感じてくれたなら、このコラムを書いた意味があります。
夜は、長い。でも、夜が明けない朝は、ありません。
、あなたの選択を、誰が決めるか。他の誰でもなく、あなた自身です。
※本コラムは、ヨバナシ編集部が複数の60代女性への取材をもとに、フィクション化した一人称体験談です。プライバシー保護のため、登場人物・年齢・状況に修正を加えています。
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