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コラム

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離婚3年。元夫が入院したと連絡が入った夜に思ったこと

ヨバナシ編集部 読了 約7分

65歳でモラハラ夫と離婚し、3年が過ぎた今年の冬。長男から『お父さんが入院した』という電話が入った夜、私が一番先に思ったのは、悲しみでも安堵でもありませんでした。68歳の私が、誰にも言えなかった本当の気持ちを、夜だけそっと書き残します。

長男から電話が入ったのは、12月の夜10時を過ぎた頃でした。

「お母さん、お父さん、脳梗塞で倒れて、◯◯病院に運ばれた。意識はあるけど、左半身が動かない」

私は受話器を握ったまま、20秒くらい何も言えませんでした。

65歳でモラハラ夫と離婚した記録 を書いてから、ちょうど3年が経った冬の話です。68歳の私が、その夜一番先に思ったことを、夜だけそっと書き残します。

一番先に浮かんだのは「行かない」だった

ひとりの朝

長男の声を聞きながら、私の頭の中に最初に浮かんだ言葉は、悲しみでも、心配でも、安堵でもありませんでした。

「行かない」。

その3文字だけ。

息子の前では絶対に言えない。けれど自分の中で、その3文字だけが、はっきり、太く、引かれた線のようにあったのです。

38年の重みは、3年では消えない

離婚から3年。新しい暮らしは思ったよりずっと穏やかでした。

朝、目を覚まして「今日は誰の機嫌を伺わなくていい」と思える朝が、何百回も来ました。台所で、自分の好きな順番で、自分の好きな器で食事を作れるという当たり前の自由が、毎日嬉しかった。

それでも、夫の名前を聞くと、今でも肩が固くなる。3年経っても、それは消えませんでした。

翌朝、私が選んだこと

朝の窓辺

夜は眠れませんでした。

「行かない」と決めた自分に、罪悪感を感じる夜。「38年の人生だったでしょう」と頭の中の声が責める。「それでも、もう私は他人だ」という別の声が反論する。

朝、私は3つのことを決めました。

1. お見舞いには行かない

判断軸は、シンプルでした。「いま私が病室に行ったら、私は何のために行くのか」を考えると、答えは「過去の罪悪感を消すため」でした。それは元夫のためではなく、自分の心の処理のため。それを病人にぶつけるのは違うと、68年生きて初めて整理できました。

2. 子どもたちのケアは引き受ける

子どもたちは父親の入院に動揺していました。私は「あなたたちのお父さんとして、できる限りの対応をしてあげて」と、長男・次女・三男に伝えました。私は子どもたちの実母として、子どもの感情を受け止める役を引き受けることにしました。

3. 元義母には香典を送る

退院の見込みが立たない場合、最悪のことも考えなければいけません。私は、元義母に対しては最後まで丁寧でいたいと思いました。お金で果たせる礼儀は、きちんと果たす。それが私の中での区切り方でした。

子どもたちの反応

穏やかな午後

長男(42歳)は、私の決断を「分かった」と一言だけ言いました。次女(39歳)も「お母さんは無理しないで」と。三男(35歳)だけが少し不機嫌で、「親父も歳だし、一回くらい顔出してやってよ」と言いました。

三男には、私はこう答えました。

「あなたが、お父さんの代わりにお見舞いに行ってあげて。私はもう38年やった。今度はあなたの番」

それ以上、三男は何も言いませんでした。

元夫から、手紙が届いた

ノートとペン

入院から2ヶ月後、元夫から手紙が届きました。リハビリ病棟で、左手で書いたという、震える字。

便箋3枚に、ぽつぽつと書かれていたのは、

「ありがとう」 「すまなかった」 「君の好きなようにしてくれていい」

たった3行。38年で初めて聞いた言葉。

私は、返事を書かなかった

便箋を3回読み返して、机の引き出しにそっとしまいました。「ありがとう」と「すまなかった」を、3行で済まさないでほしかった。それが68歳の私の正直な気持ちでした。

返事を書かなかったことを、後悔はしていません。返事を書ける関係でいられなかったから、私は離婚を選んだのだから。

半年後、元夫は退院した

光が差し込む静けさ

元夫は半年のリハビリの末に退院し、長男夫婦の家の近くにバリアフリーマンションを借りて、一人暮らしを始めたと聞きました。

長男から「お母さん、たまに様子を見に行ってくれない?」と頼まれましたが、私は丁重に断りました。「私はお父さんの妻ではない。私はあなたたちのお母さんとして、何かあれば応援する」と。

役割の線引きを、3年かけて自分の中で引き直したと思います。

68歳の私が、3年で得たもの

朝の余白

離婚から3年。元夫の入院・退院という大きな出来事を経て、68歳の私が手にしたものは3つあります。

1. 「もう行かなくていい」と言える勇気

子どもや世間の目を気にせず、自分の判断で「行かない」と決められるようになりました。罪悪感はゼロにはなりません。けれど、罪悪感を抱えたまま生きていく強さがついた。68歳で初めて分かった種類の強さです。

2. 子どもたちとの大人の関係

長男・次女・三男は、私の決断を尊重してくれるようになりました。「お母さんはお母さんの人生を生きる」と、子どもたちが認めてくれた、と感じています。三男は今でも少し不満そうですが、それも含めて、家族の形が変わったということ。

3. 元夫への、やわらかい無関心

恨みではなく、無関心。けれど、冷たい無関心ではない、やわらかい無関心。「あの人にも、あの人の人生がある」と、初めて他人として認められるようになりました。これが、3年かけてたどり着いた終着点です。

同じ道を歩む50〜60代の方へ

ひと息つくお茶

もしいま、あなたがモラハラ夫との生活に削られていて、それでも離婚を踏み切れずにいるなら、伝えたいことが3つあります。

1. 離婚後の罪悪感は、3年で形を変える

離婚した直後は強い罪悪感に襲われます。「子どもに申し訳ない」「世間体が」「老後ひとりで耐えられるか」。3年かければ、罪悪感は『抱えながら生きていける重さ』に変わります。消えはしません。けれど、生活を圧迫しなくなる。

2. 元配偶者の重い局面が、必ずやってくる

入院、介護、死別。元配偶者の重い局面に、必ず遭遇します。そのとき、「行く・行かない」を自分で決められる準備を、離婚直後から少しずつ作っておいてください。子どもとの会話、お金の整理、自分の住まい。すべてが、その日のための準備です。

3. 子どもとの関係は、必ず再構築できる

離婚直後は、子どもの理解を得られないこともあります。3年・5年かけて、子どもも大人になり、母親の選択を理解できるようになる。今すぐ理解されなくても大丈夫。時間がかかります。それでも必ず、関係は変わっていきます。

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相談できる窓口

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  • DV相談プラスナビ 0120-279-889(モラハラ・DV相談)
  • 地域の女性センター(離婚相談・カウンセリング)
  • 悲嘆ケアの専門カウンセラー(地域の医師会経由で紹介可)
  • ヨバナシ「みんなの夜話」(匿名で打ち明けられる場所

夜は、長い。 でも、夜が明けない朝は、ありません。

3年前の私は、離婚届を出すために役所の前で2時間立ち尽くした人間でした。68歳の私は、自分の決断を後悔せずに眠れる人間になりました。それで、足ります。


※本コラムは、ヨバナシ編集部が複数の60代女性への取材をもとに、フィクション化した一人称体験談シリーズの第2話です。プライバシー保護のため、登場人物・年齢・状況に修正を加えています。

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