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コラム

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母を看取って1年。夜にひとつだけ覚えた回復のしかた

ヨバナシ編集部 読了 約7分

5年の在宅介護のあと母を看取り、空白の3ヶ月を経て、1年が過ぎました。介護で削られた55歳の私が、空白の中でひとつだけ続けられた『夜の儀式』と、それで起きた小さな回復を、同じ道を歩む50代娘に静かに残します。

母が亡くなって、1年が経ちました。

55歳。介護に5年使い、看取りに3ヶ月かけ、空白に9ヶ月浸かった、私の56歳の春です。

看取って3ヶ月の私が、何かを書こうとして書けなかった日々。あの頃に「もう少しだけ待っていてくれた未来の私」が、いま振り返って、空白の中でひとつだけ続けられた夜の儀式を、同じ道を歩む50代の娘に残します。

これは、3ヶ月の続編ではなく、1年たって初めてわかった『回復のしかた』の記録です。

看取って3ヶ月、私はまだ自分を取り戻せていなかった

朝の窓辺

母を看取って気づいた、30年早く知っておきたかった3つのこと を書いたのが、母の死から3ヶ月が経った頃でした。

あのときは「これから自分の人生を取り戻す」と書いた気がしますが、実際の私は、起き上がるのに必要な気力さえ残っていませんでした。

朝、起きるのが辛い

朝5時に起きていた介護生活が突然消えて、起きる必要がなくなった私は、午前10時まで布団から出られない日が続きました。やることがあるからではなく、やることがないから動けないという、初めての状態。

食欲がない

母の介護中はコンビニのおにぎりで済ませていた食事が、今度は何を食べていいか分からない。スーパーに行っても、買うものが決まらず、空のかごを持って20分歩いて帰る日が続きました。

涙が、出ない

母が好きだった曲を聴いても、形見の眼鏡を見ても、涙が出ない。「もっと泣くべきなのに」という焦りだけが残って、それがまた自分を責める材料になりました。

6ヶ月目、夜だけ動けるようになった

ノートとペン

母の死から6ヶ月たった頃、ふと気づいたことがあります。

夜の22時を過ぎると、少しだけ動ける。

昼間は重たい体が、夜になると軽くなる。介護中、母が寝てから夜中まで自分のことをしていた時期の体内時計が、まだ残っていたのだと思います。

夜の儀式、3つだけ

私はこの「夜だけ動ける時間」に、たった3つだけ自分のためにやることを決めました。

1. 湯気を出す

紅茶でもコーヒーでも、白湯でもいい。湯気の立つカップを、両手で包んで5分だけ、何もせずに座る。

これだけで、自分が「生きている人間」だと思い出せました。

2. 紙のノートに、3行書く

スマホのメモではなく、紙のノートに、その日あった3つのこと。

「スーパーで桜餅を1個だけ買った」 「夫が『おかえり』と言ってくれた」 「夕方の空がオレンジだった」

意味のあることである必要はない。3つ書ければ、その日の私は「何かを認識して生きていた」ことが、紙の上で証明されます。

3. 母に、話しかけない日もある

最初は毎晩、写真の母に「今日もありがとう」と話しかけていました。でも6ヶ月目から、話しかけない日があってもいいと決めました。

「今日は話しかけない」と決めた日は、母の写真を伏せて寝ます。次の朝、自分の手で写真を起こすところから1日が始まる。母を私の中に置きながら、私の人生を生きるための、小さな練習でした。

9ヶ月目、初めて笑った日

ひと息つくお茶

母の死から9ヶ月たった頃、地域の図書館で、偶然出会った同年代の女性と、母の介護の話になりました。

「うちは認知症の母を在宅で5年看ました」と私が言うと、

「あら、私もよ」

と、彼女がニコッと笑ったのです。

同じ経験をした人と、初めて笑えた

ご主人を半年前に看取ったその方と、私たちは図書館の前のベンチで2時間話しました。介護の苦労を、笑い話にできるという体験。

「ヘルパーさんにお茶を出すたびに、お母さんが『あの人、誰』って聞くの」「うちもうちも!」「そして毎回、私の名前を覚えていない」「あー、わかる」

55歳の私が9ヶ月ぶりに、お腹から笑った瞬間でした。

体の中に、軽さが戻ってきた

その日の夜、私は自分の体が少しだけ軽くなっていることに気づきました。

涙ではなく、笑い。看取って9ヶ月で、私の中に最初に戻ってきた感情は「悲しみ」ではなく「他の人と共有できる経験を持っているという安心感」だったのです。

1年目、今の私

朝の余白

母の死から1年。56歳の春。

体重が3キロ戻った

介護中に7キロ落ちた体重が、1年で3キロ戻りました。まだ4キロ足りないけれど、毎月100グラムずつ戻している実感があります。

パートを週4日に増やした

週3日のパートを、思い切って週4日に。一日が長すぎて、何もできない日が続いたので、外で過ごす時間を増やすことにしました。月収が10万を超えて、自分の小遣いができたのも嬉しい。

母の遺品を、ひとつだけ毎月処分する

最初は何ひとつ捨てられなかった母の遺品。「毎月ひとつだけ、自分が選んで処分する」というルールにしてから、少しずつ進んでいます。1年で12個。95%はまだ残っているけれど、5%は確実に動いていることが、自分への小さな信用になっています。

夜の儀式は、今も続いている

湯気のカップ、3行のノート、写真への対話。これらは1年たった今も、毎晩続けています。母が私に残してくれた「夜の習慣」として、これから10年は続けると思います。

同じ道を歩む50代の娘へ

ひとりの朝

もしいま、あなたが「看取って3ヶ月の私」と同じ場所にいるなら、伝えたいことが3つあります。

1. 起き上がれない朝を、責めないでください

5年、10年と介護した体は、看取った瞬間に元に戻るわけではありません。6ヶ月から1年は、整える時間として最初から見込んでおいてください。

2. 夜だけ動ける時間を、見つけてください

私の場合は22時以降でした。自分の体内時計に合った『生きている時間帯』が、必ずどこかにあります。そこで湯気のカップとノート、それで十分です。

3. 同じ経験をした人に、いつか出会います

9ヶ月の私には想像できなかった「介護経験を笑い話にできる相手」が、必ず現れます。図書館でも、地域包括支援センターのサロンでも、ヨバナシのみんなの夜話でも。急がず、自然に。

1年目の私から、5年目の私へ

5年後の私(60歳)は、どんな人になっているだろう。

母が55歳のとき、私は20代で、母のことなど分からなかった。私が60歳のとき、私の娘も20代で、私のことなど分からないだろう。

それでいい、と1年目の私は思います。自分のために生きる時間が、これからまだ20年も30年もある。介護の5年は、私から多くを奪ったけれど、同時に他の50代に渡せる経験も残しました。

相談できる窓口

  • 地域包括支援センター:看取り後の遺族支援サロン情報あり
  • 悲嘆ケアの専門カウンセラー:地域の医師会経由で紹介可
  • 公益財団法人日本ホスピス・緩和ケア研究振興財団 グリーフサポート
  • ヨバナシ「みんなの夜話」(匿名で打ち明けられる場所

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※本コラムは、ヨバナシ編集部が複数の50代女性への取材をもとに、フィクション化した一人称体験談シリーズの第2話です。プライバシー保護のため、登場人物・年齢・状況に修正を加えています。

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#60代 #親の死 #母娘