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母を看取って3年。58歳で『1人で生きる』が普通になった春
5年の在宅介護、看取り3ヶ月の空白、1年目の儀式、そして3年。58歳で迎えた、母の三回忌の朝に書いた振り返り。介護で変わった自分と、いま元気な親を持つ50代の娘へ手渡したい『3年で見えたこと』のメモ。
母の三回忌が終わりました。
55歳で看取った私は、いま58歳。介護に5年、空白に1年、回復に2年。気がつけば、母の生きた8年を超える時間を、母なしで過ごしてきました。
看取って3ヶ月 の私は、ただ起き上がれない朝を見ていました。 看取って1年 の私は、夜だけ動ける時間に湯気のカップを置いていました。
3年たった今、私は朝6時に起きて、自分のために朝食を作り、自分のためにコーヒーを淹れる人間に戻っています。「1人で生きる」が、普通の生活になったのです。
これは、3年かけて取り戻した日常の記録と、いま元気な親を持つ50代の娘たちへ静かに手渡したい3つのメモです。
3年で取り戻した日常
体重は元に戻った
介護中に7キロ落ちた体重が、3年でほぼ元に戻りました。最後の2キロは戻らないけれど、それは年齢相応の自然な減り方です。
血圧も落ち着き、人間ドックで「特に大きな問題なし」と言われた朝、車の中で少しだけ泣きました。介護中は自分の体のことを考える余裕がなく、健康診断さえスキップしていた人間が、ここまで戻れたのです。
パートを正社員に戻した
3年目に、地元の中小企業で事務職の正社員として再雇用されました。月収22万円、ボーナス2回。正社員時代の450万円には遠く及ばないけれど、厚生年金がまた積み上がるのがありがたい。
辞めたとき47歳。戻ったとき58歳。11年のブランクは確かに大きいけれど、「介護をしていた」という事実は、面接でマイナスではなくプラスに評価された場面もありました。
母の遺品が、5割になった
毎月ひとつだけ処分するルールで、3年×12ヶ月=36個。残りの遺品の整理が進んで、いま全体の半分が片付きました。
捨てたもの:母の介護用品、古い服、薬の残り、医療器具 残したもの:母の写真、手紙、小さな装飾品、日記
「3年かけて半分」というのは、当事者にとっては早すぎず遅すぎず、ちょうどいいペースでした。
3年で変わった自分
1人で外食できるようになった
介護中は「外食する時間がもったいない」、看取り後の1年は「1人で店に入るのが怖い」。3年たって、初めてカウンターのある定食屋に1人で入れるようになりました。
最初は週1回。今は週2〜3回、好きな時間に好きなものを食べに行きます。1人の時間を罪悪感なしに使えるようになるのは、本当に長い時間がかかる回復でした。
友人との会話が変わった
3ヶ月の私は、誰とも話したくなかった。1年の私は、介護経験者となら話せた。3年の私は、介護のことはあまり話さず、これからの話ができるようになりました。
「次の連休どこ行く?」「あの本読んだ?」「孫が小学校上がるんだよ」、そんな普通の会話が、3年ぶりに戻ってきました。介護の話は、求められたときだけ静かに伝えるだけで十分です。
「お母さん」と話しかけることが減った
1年の私は毎晩のように写真の母に話しかけていた。3年の私は、話しかけない日のほうが多い。
これは冷たくなったわけではなく、母が私の中に居るからもう話しかけなくていい、という静かな関係に変わったのだと思います。母の三回忌で、それを家族にも伝えられました。
3年で見えた3つのメモ
いま元気な親を持つ50代の娘へ。3年たった私から、3つだけ手渡したいメモがあります。
1. 「介護の終わり」は、母を見送ったあとも続く
介護は親が亡くなった瞬間に終わるわけではありません。遺産分割、義実家との関係、自分の体の修復、仕事の立て直し、これらが看取り後の数年間に続きます。
60代から始める相続の完全ガイド や 熟年離婚を考えはじめた50〜60代妻の完全ガイド を、親が元気なうちに読んでおいてください。私が読んでおけばよかった、と思う2つのガイドです。
2. 「自分を取り戻す時間」を、最初から織り込む
介護期間 + α、ではなく、介護期間 × 0.5の回復時間を最初から織り込んでおくのが現実的です。
私は5年介護したから2.5年の回復時間が要りました。10年介護した方は、5年の回復時間が要ります。回復時間を見込まずに「介護が終わったらすぐに人生再開」と思うと、自分を責めてしまいます。
3. 「1人で生きる」を、いまから少しずつ練習する
夫が亡くなる、子が独立する、親を看取る。いずれも避けられないライフイベントです。1人で外食する、1人で旅に出る、1人の予定で1日を過ごすを、いまから月1回でも練習しておくと、いざという時に楽に切り替えられます。
60代から始める『自分時間』の完全ガイド で書いた7つの場面は、まさにこの練習のために書きました。
母の三回忌の朝、書いた言葉
家族で集まった三回忌の朝、私は母の遺影に向かって、こう言いました。
「お母さん、私、1人でも大丈夫になったよ」
夫がいて、子がいて、孫もいる。1人ではないけれど、1人でも生きていける人間に戻った、という意味でした。
母は黙って、写真の中で笑っていました。
このシリーズの他の話
- 第1話:母を看取って気づいた、30年早く知っておきたかった3つのこと — 看取り3ヶ月時点の記録
- 第2話:母を看取って1年。空白だった私が、夜にひとつだけ覚えた回復のしかた — 看取り1年時点の回復記録
- 第3話:このページ(看取り3年時点の振り返り)
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相談できる窓口
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- 悲嘆ケアの専門カウンセラー:地域の医師会経由で紹介可
- ヨバナシ「みんなの夜話」(匿名で打ち明けられる場所)
夜は、長い。 でも、3年たてば、夜が短くなる季節も訪れます。
3年前の私が、今夜あなたに渡したかったのは、解決策ではなく、「3年たてば違う自分になっている」という事実だけです。それで足ります。
※本コラムは、ヨバナシ編集部が複数の50代女性への取材をもとに、フィクション化した一人称体験談シリーズの第3話です。プライバシー保護のため、登場人物・年齢・状況に修正を加えています。
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