= COLUMN =
義実家の合鍵を返した日、夫婦で話したこと
義父が施設に入ることが決まった日、わたしは35年持っていた義実家の合鍵を、夫に返しました。鍵をテーブルに置いた瞬間、夫はしばらく黙っていました。そして夜、夫はぽつりと、35年で初めての言葉を、わたしに言いました。義実家との関係が一段落するときの、ある夫婦の話です。
「これ、もう、返すね」
わたしは、台所のテーブルに、銀色の小さな鍵を置きました。
35年間、わたしの財布の小銭入れの内ポケットに、ずっと入っていた、義実家の合鍵です。
夫は、わたしの顔と、テーブルの上の鍵を、交互に見ました。
そして、何も言わずに、その鍵を手に取って、自分の書斎に持っていきました。
その日のことを、今日は書こうと思います。
義父が施設に入ると決まった日
きっかけは、義父が施設に入ることが決まったことでした。
義母は3年前に他界しており、義父はずっと、義実家でひとりで暮らしていました。 そろそろ限界、と義父自身が言い出して、近所のサ高住(サービス付き高齢者向け住宅)に入居することに決まったのです。
入居は来月。 義実家は、近々、空き家になります。
夫と義父は、空き家になった義実家を、しばらくはそのまま残す、と決めました。 売る決断は、まだしない、と。
それでも、義父が出ていくということは、わたしが「義実家に行く理由」が、ほぼなくなる、ということでした。
35年間、義実家にはお盆と年末、義父母の体調が悪いとき、お祝い事の集まりなど、年に何回かは行っていました。
その節目に、わたしはずっと、合鍵を持っていたのです。
35年間、合鍵を使ったのは10回くらい
35年間、わたしがその合鍵を実際に使ったのは、たぶん10回くらいです。
ふだんは、義父母が家にいて、わたしはチャイムを鳴らして入りました。 合鍵を使ったのは、義父母が旅行に行っているときに頼まれて植木の水やりに行った日、義母が入院した日、義父母が留守中に親戚の対応で家に入った日、そんな数えるほどでした。
それなのに、なぜか、わたしはずっと、その鍵を財布の中に入れていました。
義母が亡くなったときも、義父がひとりになったときも、わたしはその鍵を出しませんでした。
「いつか何かあったときのために」と思っていたのです。
ですが、義父が施設に入ると決まったとき、わたしの中で、何かが「もういいんじゃないか」と告げました。
鍵を返すと決めた、ある朝のこと
きっかけは、ある朝、財布を整理していたときでした。
小銭入れの内ポケットを開けたら、その銀色の鍵が、いつものように入っていました。
35年で、鍵の表面が、少し曇っていました。
わたしは、その鍵を手のひらにのせて、しばらく眺めました。
頭の中に、義実家のいろんな場面が浮かびました。
結婚した最初の年のお正月、義父母のお正月料理を、お雑煮の作り方を教わりながら一緒に作った日。 わたしの息子が生まれたとき、義母が「初孫だ」と泣いて喜んでくれた日。 義母が入院したとき、合鍵を使って家に入って、義父の夕食を黙々と作った日。 義母が亡くなった日、夫と一緒に、葬儀の段取りを夜中まで話した日。 義父がだんだん耳が遠くなって、最近は会話が短くなった日。
35年。
「嫁」というだけで、いろんな場面があったな、と思いました。
楽しいことだけでもなく、つらいことだけでもなく、ぜんぶ、混ざっていました。
それを、ぜんぶ、この銀色の鍵が知っていたのです。
「返す」という選択
その夜、夕食のあと、夫がテーブルでお茶を飲んでいるときに、わたしは切り出しました。
「あなた、お義父さんが施設に入ったら、わたし、たぶん、もう義実家にはほとんど行かないと思うの」
夫は、お茶のカップを置いて、わたしを見ました。
「だから、これ、もう、返すね」
わたしは、財布から鍵を出して、テーブルに置きました。
夫は、しばらく、その鍵を見ていました。
そして、何も言わずに、鍵を取って、自分の書斎に持っていきました。
その夜、夫がいつもより無口だったので、わたしは少し心配になりました。 「返してほしくなかったのかな」「冷たく感じさせたかな」と。
その夜、夫が初めて言ったこと
寝る前、夫が、寝室の電気を消す前に、ベッドの中で、ぽつりと、こう言いました。
「お前、35年、よくぞ、その鍵を持ってくれてた」
わたしは、暗闇の中で、夫の顔を見ました。
夫は、天井を向いたまま、こう続けました。
「お前にとって、その鍵がどれだけ重かったか、俺は、ちゃんと分かってなかった気がする」
わたしは、しばらく、何も言えませんでした。
35年連れ添って、夫がこんなふうに、「分かってなかった」と言ったのは、初めてでした。
そして、夫はこう続けました。
「お袋とお前、いろいろあったろう。それを、お前がぜんぶ抱えてくれてた。それが、その鍵の意味だったんだな」
涙が、自然に出ました。
夫は、それまで、「お袋とお前のあいだのことは、お前たちふたりの問題」だと、ずっと距離を置いていた人でした。
その夫が、35年たって、わたしが鍵を返した夜に、初めて「ありがとう」を言ってくれたのです。
「鍵を返す」の本当の意味
その夜以来、わたしは、何度か考えました。
「鍵を返す」というのは、たぶん、義実家との関係を切ることでは、ありませんでした。
35年やってきた「嫁の役割」を、一度終わらせる、ということでした。
これからわたしは、義父のお見舞いに、年に2、3回、行きます。 夫と一緒に、義父の施設に顔を出します。 お盆と年末は、義父に手紙を書きます。
でも、「いつでもすぐに義実家に駆けつけられる嫁」では、もうない。
その節目を、合鍵が、わたしと夫の前で、はっきり示してくれたのです。
それから1ヶ月、わたしの生活が少し変わった
合鍵を返してから、1ヶ月。
わたしの生活は、少しだけ変わりました。
財布を開けると、内ポケットがすっきりしていて、気持ちが少しだけ軽いのです。
これまで、無意識に「義実家のことを、いつでも対応できるように」と心の片隅で構えていた、その緊張が、ふっと消えたのです。
35年抱えていたものを、たぶん、わたしは初めて、降ろせたのです。
夫は、その後、何度か、自分の書斎の鍵を見ているようでした。
ある日、夫がこう言いました。
「この鍵さ、お袋もお父さんも、お前を信じて渡したんだろうな」
わたしも、初めて、そう思いました。
35年前、結婚して間もない頃、義母が「これ、何かあったときのために」と、わたしの手のひらにのせてくれた鍵。
あの時、義母も、緊張していたかもしれません。 息子の嫁に、自分の家の鍵を渡すというのは、信頼の証だったのです。
その信頼を、35年、わたしはちゃんと守れていたのかもしれません。
そう思えるようになったのは、鍵を返したあと、夫が「ありがとう」と言ってくれたから、でした。
義実家との節目を迎えている方へ
もし、いまこれを読んでくださっている方が、義父母の高齢化や施設入居で、義実家との関係が変わりつつあるなら、申し上げたいことがあります。
「合鍵を返す」は、関係を切ることでは、ありません。
これまで35年(あるいは20年、30年)積み重ねてきた嫁としての役割を、一度、ちゃんと終わらせる節目です。
そして、その節目を、夫婦できちんと話す機会にすると、夫婦の関係が、少し変わるかもしれません。
わたしの場合は、変わりました。
35年で初めて、夫がわたしの「嫁としての苦労」を言葉にして認めてくれました。
それは、合鍵を返した夜にだけ、起きたことでした。
もしご縁があれば、夫婦の節目の話に、合鍵を使ってみてください。
35年の話し合いが、5分で済むこともあります。
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