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コラム

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義実家を遠ざかった年、夫がぽつりと話した気持ち

ヨバナシ編集部 読了 約6分

義両親が亡くなり、義実家の集まりがなくなって2年。65歳のわたしは、義実家から、ほぼ遠ざかった暮らしを、することに、なりました。ある秋の夜、夫が、その『義実家のない暮らし』について、35年で初めて、ぽつりと、わたしに、話してくれた気持ちを、書きます。

義両親が亡くなって、2年が経ちました。

義父が、2年前の春に。 義母が、1年前の秋に。

ふたりとも、亡くなって、お通夜と、お葬式と、四十九日と、一周忌の、それぞれの儀式は、ちゃんと、終わりました。

そして、義実家からは、もう、わたしと夫を、呼んでくれる人が、いなくなりました。

義姉(夫の姉)とは、年に1回、お茶。 義妹(夫の妹)とは、月に1回、ショートメッセージ。

これが、別記事(義姉と義妹、わたしが35年で築いた、3つの距離感のかたち)に書いた、わたしと夫の、義家族との、いまのつながり、です。

35年、お盆と正月、必ず、義実家に通っていた、わたしと夫の生活。

それが、義両親が亡くなった瞬間に、ぱたっと、消えました。

最初の1年は、わたしは、それを「ホッとした」と、感じていました。

ですが、2年経った、ある秋の夜、夫が、ぽつりと、こう、話してくれました。

「俺、お盆と正月、暇でな」

35年連れ添った夫が、義実家のないお盆と正月について、わたしに、本音を、話してくれたのは、その夜が、初めてでした。

今日は、その夜の話を、書きたいと思います。

わたしの「義実家がない、お盆と正月」

義両親が亡くなった、2年目のお盆。

わたしと夫は、自宅で、ふたりで、過ごしました。

朝、お墓参り(義両親のお墓)。 お昼、家で、お素麺。 午後、お昼寝。 夕方、夫は、テレビ。わたしは、本。 夜、ふたりで、簡単な、晩ごはん。

これが、お盆の3日間の、過ごし方でした。

正直に言うと、わたしは、ホッとしていました。

35年、義実家のお盆の集まりで、料理を作って、お皿を洗って、お土産を渡して、義両親と義姉と義妹と、気を遣って、過ごしていました。

それが、ぜんぶ、なくなった。

夫とふたりで、テレビを見て、本を読むだけの、お盆。

「ああ、楽だな」と、最初の1年、わたしは、本気で、思っていました。

2年目の秋、夫が話してくれた、本音

2年目の秋、ある夜のことでした。

夫と、リビングで、テレビを、見ていました。

ニュースの中で、お盆と正月の、家族の集まりの話題が、出ていました。

夫が、しばらく、黙って、テレビを見て、それから、ぽつりと、こう、つぶやきました。

「俺、お盆と正月、暇でな」

え、と、わたしは、夫を、見ました。

夫は、テレビを、見たまま、こう、続けました。

「お前は、たぶん、ホッとしてるんだろう。35年、義実家で、いろいろ大変だったから」

「だけど、俺は、ちょっと、寂しいんだよな」

「お盆と正月、義実家に、行くのが、当たり前だった生活が、35年、続いてたから」

「行くのが、なくなって、気持ちが、どこにいったらいいか、わからないんだよ」

35年連れ添った夫が、初めて、わたしに、本音を、こぼしてくれた瞬間でした。

わたしは、夫の本音を、知らなかった

夫の言葉は、わたしには、衝撃でした。

わたしは、義両親が亡くなった後、夫の気持ちを、わかったつもりに、なっていました。

夫は、義父と、義母の、葬儀のときに、しっかり、泣きました。 四十九日や、一周忌で、ちゃんと、ご挨拶を、しました。 お墓参りも、ちゃんと、続けて、います。

「夫は、ちゃんと、義両親を、見送って、ちゃんと、整理が、ついているんだ」と、わたしは、ぼんやり、思っていたのです。

ですが、夫の本音は、違いました。

夫は、義両親を、見送った、その後の「義実家のない、お盆と正月」が、寂しかったのです。

そして、その寂しさを、夫は、ひとりで、抱えていました。

わたしに、それを、見せずに。

なぜ、夫は、35年も、本音を、隠していたか

夫が、その夜、こう、話してくれました。

「お前が、義実家のことで、ずっと、大変だったの、知ってる」

「だから、わたしが、義両親を、亡くして、寂しい、なんて、言ったら、お前に、悪い気がして」

「『また、義実家に、行きたい』なんて、言ったら、お前を、また、しんどい思いに、させちゃう、と思って」

「だから、35年、本音を、出せなかった」

わたしは、しばらく、夫の言葉を、噛み締めました。

35年、夫は、わたしの「義実家への、しんどさ」を、見ていてくれた。 そして、義両親を亡くしたあとも、わたしのために、自分の寂しさを、隠していた。

これは、わたしには、まったく、見えていなかった、夫の気持ちでした。

わたしから、夫に、提案したこと

その夜、わたしは、夫に、こう、提案しました。

「お盆と正月、なくなったのは、寂しいよね」

「来年から、お盆と正月の、3日間のうち、半日だけ、わたしと一緒に、お義父さんとお義母さんのお墓に、行こうか?」

「いつもの、お墓参りより、長めに。お弁当も持って」

「そして、お墓の前で、ふたりで、お義父さんとお義母さんの話を、ゆっくりしよう。1時間でも、2時間でも」

夫は、しばらく、わたしの顔を、見ていました。

そして、こう、答えました。

「お前、それで、いいの?お前は、義実家のこと、ずっと、しんどかったろう」

「うん、しんどかった。でも、いまは、義両親が、いない。だから、ふたりで、ゆっくり、お墓で、義両親と、過ごせる時間は、わたしにも、たぶん、必要だと思うの」

「あなたが、お盆と正月、寂しいなら、わたしは、そばに、いたい」

夫は、目が、潤んでいました。

「ありがとうな、由紀子」

35年連れ添って、夫が、わたしに、こんなふうに、お礼を言ってくれたのは、本当に、数えるほど、しか、ありません。

それから半年、新しい「義両親との時間」

そのお話のあと、初めての、お盆と正月。

わたしと夫は、約束通り、半日かけて、義両親のお墓に、行きました。

お墓の前に、簡単なお弁当を、広げて、お茶を入れて。

夫が、義父と義母の、若い頃の話を、ゆっくり、わたしに、話してくれました。

「お袋がさ、お父さんと、若いとき、こんなふうに、けんかしたんだよ」 「お父さんが、定年退職した日、お袋、お赤飯炊いて、お父さん、嬉しそうだった」

35年連れ添って、わたしは、義父と義母の、若い頃の話を、初めて、ゆっくり、夫から、聞きました。

夫の表情は、お墓の前で、本当に、温かく、なっていました。

「義実家がないお盆と正月」が、「お墓の前で、ふたりで義両親と過ごす、お盆と正月」に、変わったのです。

これが、35年で、見つけた、わたしと夫の、新しい義両親との関係でした。

夫の本音を、聞かなければ、わからなかったこと

夫の本音を、聞かなければ、わたしは、35年、わかっていない、ことが、あった、と、いま、思います。

夫は、義両親を亡くすこと、義実家がなくなること、お盆と正月の家族の集まりが、消えること。

これらを、35年連れ添ったわたしより、ずっと、深く、寂しく、感じていたのです。

ですが、夫は、それを、わたしに、見せなかった。

夫の本音を、聞き出すには、わたしから、聞く必要が、ありました。

そして、夫が話してくれたあと、わたしから、提案する必要が、ありました。

「あなたが、寂しいなら、わたしは、そばにいる」

このひと言が、35年連れ添った、わたしと夫の関係を、もう一度、深いところで、整えてくれた、と思います。

同じ立場の方へ

もし、いま、義両親を亡くされて、義実家がなくなった、ご家庭の方が、いらっしゃるなら、申し上げたいことが、ひとつあります。

ご主人(または、奥さま)の、本音を、聞いてみてください。

「義両親を亡くした後、寂しさが、あるか」

「お盆と正月、義実家に行かないことに、戸惑いがあるか」

ご主人(または、奥さま)は、たぶん、ご自分の寂しさを、ご家族のために、隠して、いるかもしれません。

35年連れ添ったわたしの夫が、そうでした。

そして、ご主人(または、奥さま)の本音を、聞き出した後、新しい「義両親との時間」を、ご夫婦で、作ってみてください。

お墓の前で、ふたりで、お弁当を広げて、義両親の話を、するだけ。

それだけで、ご夫婦の関係が、35年で、いちばん、深い場所で、整います。

少なくとも、わたしと夫は、そうでした。

なお、義両親を亡くした後の、ご家族の過ごし方は、ご家庭ごとに、本当に、違います。ご家族とご相談のうえ、無理なく、新しいかたちを、見つけてみてください。

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#60代 #義実家 #帰省