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コラム

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父の日に夫が義父にしなくなった電話を、わたしが見ていた

ヨバナシ編集部 読了 約5分

結婚して35年、父の日に夫は毎年義父に電話していました。ところが、義父が認知症と診断された去年、夫は電話をしなくなりました。受話器を取って、また置く。父の日の夕方、玄関で立ち尽くす夫を見て、わたしが何を思い、何をしたか。義父との関係に悩む60代妻に、ひとつの記録としてお伝えします。

結婚して35年。

夫は、父の日には必ず、義父に電話していました。

毎年6月の第3日曜の夕方、夫は受話器を取って、義父にお祝いの一言を伝え、義父の体調を聞き、わたしの近況を伝え、10分くらい話してから、電話を切ります。

その後ろ姿は、いつも、少し背筋が伸びていました。65歳の夫が、義父の前では、いまでも息子の顔に戻る瞬間でした。

ところが、去年の父の日、夫は、電話をしませんでした。

義父が認知症と診断された春

去年の3月、義父が認知症と診断されました。

87歳。義父は10年ほど前から少しずつ物忘れが増えていましたが、3月の診察で「アルツハイマー型」と正式にわかったのです。

診断のあと、義父は、息子(つまりわたしの夫)のことを、認識できないことが増えました。

電話をすると、「どちらさまでしたっけ?」と聞かれることが、月に2回はありました。

夫は、その都度、「お父さん、息子の英樹だよ」と名乗っていました。

声に出して笑って、「忘れちゃったの?しょうがないなあ」と冗談にしていましたが、電話を切ったあとの夫は、ソファに座ってしばらく動きませんでした。

そういう日が、3月から6月にかけて、増えていきました。

父の日の夕方、夫は玄関に立っていた

去年の父の日、わたしは台所で夕食の支度をしていました。

午後5時を過ぎたあたりで、いつもなら夫がリビングで電話を始める時間です。

その日、リビングはしんとしていました。

わたしは様子を見に行きました。

夫は、玄関にいました。

スマートフォンを片手に持ったまま、靴を履く前のスリッパのまま、玄関のたたきのところで、ただ立っていたのです。

「あなた、どうしたの?」

聞くと、夫はわたしのほうを振り向きませんでした。スマートフォンを見つめたまま、ぽつりと、こう言いました。

「お父さんに、電話、しようとしたんだけど」

沈黙が流れました。

「今日、お父さん、僕のこと、わかるかな」

その声は、35年連れ添ったわたしが、初めて聞く声でした。

夫が、わたしの肩で泣いた

わたしは、夫の隣に立ちました。

肩に手をのせると、夫は、ようやく顔を上げました。目が赤くなっていました。

「もし、わからなかったらさ。父の日に、僕のこと、わからないって言われたらさ。なんか、もう、立ち直れない気がするんだよ」

夫は、玄関の壁にもたれかかって、わたしの肩に、少し頭をあずけました。

そして、声を出さずに、肩が震えていました。

35年で、初めて見た夫の姿でした。

仕事で大きな失敗をしたときも、夫の父である義祖父が亡くなったときも、夫はわたしの前では泣きませんでした。

それが、その日、玄関で、わたしの肩で、静かに震えていたのです。

わたしは、ひとつだけ言いました

しばらくして、夫の震えが止まったとき、わたしは、ひとつだけ言いました。

「あなたが電話するのが、つらいなら、わたしがかけてもいい?」

夫は、わたしのほうを見ました。

「お義父さんに、嫁のわたしが、父の日のお祝いを伝えるのは、おかしくない気がするの。あなたの代わりじゃなくて、わたしから」

夫は、しばらく考えてから、こくんとうなずきました。

「お父さん、お前のことは覚えているかもしれないな」

わたしは、リビングに戻って、義実家に電話しました。

義父は、わたしのことを覚えていた

電話に出たのは、義母でした。

「お義母さん、こんにちは。今日、父の日なので、お義父さんにご挨拶を、と思って」

義母は、少し驚いたようでしたが、すぐに義父に受話器を渡してくれました。

「もしもし」

義父の声は、半年前より少しかすれていました。

「お義父さん、わたしです。英樹の嫁の、由紀子です」

しばらく、間がありました。

そして、義父は、こう言ったのです。

「ああ、由紀子さんか。今日は父の日だね。ありがとう」

35年の嫁を、義父は、はっきり覚えていてくれたのです。

それから、義父は、わたしと10分間、話しました。今年の梅雨はどうとか、お義母さんの最近の体調がどうとか、義父はそういう話を、ふつうにできていました。

最後に、義父はこう言いました。

「英樹は、元気でやってるかい?」

それは、たぶん、息子の名前を覚えていたかどうかではなく、息子の姿が頭に浮かんだかどうかの、ぎりぎりの感覚だったのかもしれません。

わたしは、「はい、元気です」と答えました。

そして、こう付け加えました。

「英樹も、お義父さんと話したいって、横で言ってます」

夫が、はっと顔を上げました。

夫が父に話した、5分間

わたしは、スマートフォンを夫に渡しました。

夫は受け取って、深呼吸をひとつしてから、義父と話し始めました。

最初の声は、少しふるえていました。

「お父さん。元気?英樹だけど」

向こうで、義父が何を言ったかは、わたしには聞こえません。でも、夫の表情が、急にゆるみました。

「うん、うん、そうだね。今年の梅雨、長いね」

夫は、ふだんの父親との会話に、戻れたようでした。

5分後、夫は電話を切りました。

リビングに戻って、ソファに座って、こう言いました。

「覚えてた。今日は、覚えてた」

その夜、夫はビールを2本飲んで、いつもより早く寝ました。

それから1年、わたしが学んだこと

その日以来、わたしと夫の「父の日」のかたちが、少し変わりました。

第1段階として、最初にわたしが電話します。義母にお祝いを伝えて、義父の体調を聞いて、そのうえで、夫に代わるかどうかを判断します。

夫が代わらなくていい日(義父の調子が悪い日、夫の心が重い日)は、わたしだけで終わらせます。 代われる日は、わたしが電話を渡します。

このかたちにしてから、夫が「父の日に電話できなかった」と苦しむことが、なくなりました。

夫の代わりに、わたしが「最初の声」を背負う。 夫は、その声の調子を聞いてから、自分が話せるかどうかを決められる。

これだけで、夫の負担は、ずいぶん軽くなったようです。

「嫁」が「息子」を支えるかたち

それまで、わたしは「嫁の役割」というものを、あまり考えたことがありませんでした。義両親への父の日の電話は、息子である夫の役目で、わたしは脇で見ていればいい、と。

でも、認知症が間に入ったあと、わたしの役割が、少し変わったように思います。

息子である夫が、父親に向き合うのが、つらすぎるとき。 そのときの、最初の声を、わたしが受け持つ。

これは、「嫁の義理」ではなく、もっと、「夫を支える」ことだったのです。

35年連れ添ってわかったのですが、夫は「自分の親」のことで本当につらいとき、わたし以外には頼れません。会社の同僚にも、自分の兄弟にも、相談しないのです。

夫の親が老いていく時期は、息子の苦しみを、妻が支える時期でもあるのだと、わたしは65歳になって、ようやく学びました。

今年の父の日も

今年もまた、6月の第3日曜が来ます。

義父は、いま、デイサービスに通っていて、わたしのことも夫のことも、半分くらいは覚えてくれている状態です。

今年も、わたしから先に電話する予定です。

そして、義父の調子を聞いて、夫に代わるかどうか、その日に判断します。

このかたちで、もう何年やれるかは、わかりません。義父も、もう90歳近くです。

でも、夫が玄関で立ち尽くす姿を、もう、見たくないのです。

そのために、わたしが「最初の声」を、これからも担います。

それが、いまのわたしにできる、夫への「父の日の贈り物」だと、思っているからです。

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