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父の日に何もしなくなった年、義父が言ったひと言
義父への父の日のプレゼントをやめた年の6月、義父はわたしに、思いがけないひと言を言いました。30年「ありがとう」と言わなかった義父が、その年だけ、言ったのです。プレゼントをやめてみて、初めて分かった義父の本心の話を、6月の父の日を前にお伝えします。
義父に、父の日のプレゼントを贈らなくなって、5年。
去年の父の日、5年ぶりに、義父と少しだけ話す機会がありました。
その時、義父が、思いがけないひと言を、わたしに言ったのです。
その話を、今年の父の日が来る前に、書き残しておきます。
5年前にプレゼントをやめたこと
わたしが義父への父の日のプレゼントをやめたのは、5年前の春でした。
きっかけは、デパートのベンチで「わたし、誰のためにこれを選んでいるんだろう」と気づいたことです。
それまで30年、毎年悩んで選んでいたものを、わたしは思いきってやめました。
夫は「いいよ。前から、無理しなくていいと思ってた」と言ってくれました。
それから5年、義父に父の日の贈り物はしていません。 代わりに、夫が父の日に電話するときに、横で「お義父さん、おめでとうございます」とだけ言うようにしています。
その5年間、義父からも義母からも、「最近、何もくれないね」と言われたことは、ありませんでした。
「これでよかったのだ」と、わたしは思ってきました。
去年の夏、義父が家に来た
ところが、去年の8月、義父がわたしの家に泊まりに来ました。
義母が、夏の風邪で体調を崩したのです。 義父をひとりにできないので、1週間だけ、わたしの家で預かることになりました。
義父は84歳。少し耳が遠くなっていましたが、頭はしっかりしています。
そんな義父と1週間、わたしはふたりきりで過ごすことになりました(夫は仕事でほぼ家にいません)。
朝食を作って、洗濯をして、近所を散歩に連れて行って、夕食を作って。
これが、結婚30年以上で、初めての義父との「ふたりきり」の時間でした。
3日目の朝、義父が言ったこと
3日目の朝、わたしは義父に朝食を出しました。
シンプルな和食でした。 ご飯、わかめのお味噌汁、納豆、卵焼き、漬物、お茶。
義父は、最初の一口を食べてから、しばらく黙っていました。
そして、ぽつりと、こう言ったのです。
「あんたの卵焼き、結婚式以来、35年ぶりだ」
え、と聞き返すと、義父はもう一度、こう続けました。
「あんたが、35年前、結婚した最初の朝に、うちで作ってくれた卵焼き。あの味だ」
わたしは、固まりました。
35年前、結婚した翌日の朝、わたしは新婚旅行に発つ前に、義実家で朝食を作りました。 たぶん、お礼の気持ちでした。 卵焼きと、お味噌汁と、ご飯。
それだけのことを、35年前のことを、義父は、覚えていてくれたのです。
義父の、もうひとつの言葉
その日の夕方、散歩から帰ってきた義父が、玄関で、靴を脱ぎながら、ぽつりと、こう言いました。
「あのな、由紀子さん」
わたしは、台所から振り向きました。
「あんた、30年、いろいろよくしてくれた。ありがとうな」
84歳の義父が、わたしの目を見て、初めて言った言葉でした。
それまで30年、義父は「ありがとう」を、わたしに言ったことが、ほとんどありませんでした。
不器用な人だと、わたしは思っていました。 ご機嫌は悪くないけれど、感謝の言葉も少ない人。
その義父が、84歳になって、玄関の上がりかまちで、ぽつりと言ったのです。
わたしは、台所で、しばらく動けませんでした。
それから、義父と話したこと
その夜、義父と夕食を食べながら、わたしはつい、聞きました。
「お義父さん、わたし、5年前から、父の日に何も贈らなくなりました。気にされてなかったですか?」
義父は、お茶を飲みながら、こう答えました。
「気にしてないよ。あんなもの、毎年ものを贈られるより、たまにこうやって顔を見られる方が、何倍もありがたい」
そして、こう続けました。
「お母さん(義母)とも、よく話してたんだ。由紀子さん、毎年大変だろうな、何選んだらいいか悩むだろうな、って。やめてくれて、ホッとしたんじゃないかな、こっちは」
わたしは、5年前にやめた選択が、義父と義母を「ホッとさせていた」のだと、84歳の義父から、初めて聞いたのでした。
30年の贈り物の正体
30年、わたしは父の日にプレゼントを選び続けました。
それは、「義父のため」だと思っていました。
でも、義父からすると、「もらってもうれしくない、断るのも申し訳ない、片づけにも困る」ものだったのです。
ただ、義父は、それを言える人ではありませんでした。 義母も、わたしに「やめて」とは言えませんでした。
わたしの「贈らなければ」という義務感が、義父にも義母にも、地味な負担を、30年かけていたのです。
5年前にやめたことが、義父と義母にとって、本当はうれしいことだった。
それを知ったのは、5年経って、しかも84歳の義父が、たまたまわたしの家に1週間泊まったから、ようやくでした。
それから、わたしが少し変えたこと
去年の夏のあの1週間のあと、わたしは少しだけ、義父との関わり方を変えました。
ものではなく、「会う回数」を、年に1回だけ増やしたのです。
それまで、義実家に行くのは、お盆と年末の年2回でした。 そこに、義父の誕生日(6月の中旬)に、夫とふたりで行く、を1回足しました。
何もせず、ただ顔を見せて、お茶を飲んで、世間話をして、帰る。 それだけです。
去年の6月、初めて義父の誕生日に行きました。
義父は、わたしを玄関で出迎えて、こう言いました。
「来てくれたんか。ありがとう」
84歳の義父が「ありがとう」を、また言ってくれたのです。
ものより、顔だったのです、義父が30年欲しかったのは。
「父の日に何もしない」の本当の意味
今年も、父の日が来ます。
わたしは、今年も、義父に何も贈りません。
ただ、6月の中旬、夫と一緒に、義実家に1泊で行く予定です。
ご飯はわたしが作ります。義父に、もう一度、あの卵焼きを焼くつもりです。
たぶん、これでいいのです。
「父の日に何もしない」というのは、本当に何もしないことではありませんでした。
ものを買って送って終わらせるのを、やめる。 代わりに、自分の時間を、義父との時間に当てる。
84歳の義父にとって、息子の嫁が顔を見せに来ること、それ自体が、いちばんの父の日だったのです。
60代の方へ
もし、いまこれを読んでくださっている方が、「義父への父の日、毎年悩んでいる」のなら、ひとつだけ申し上げたいです。
ものを贈り続けることが、感謝の証ではない、ということ。
ものをやめて、「顔を見に行く」に変えるだけで、義父も義母も、ホッとされる方が、たぶん多いです。
ものを毎年選ぶ大変さは、頂く側にもあります。
「やめる」ということは、関係を切ることでは、ありません。
「もう、ものはやめて、たまには会いに行こう」と、ご自分の中で決めるだけで、義父との関係が、もしかしたら、もっと深いところで変わるかもしれません。
5年やめてみたわたしが、84歳の義父から「ありがとう」を初めて聞いたという、ひとつの記録として、お読みいただければと思います。
来月、義父の誕生日に、また卵焼きを焼きに行きます。
それが、わたしのいまの「父の日」のかたちです。
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