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父の日に義父へ贈らなくなって5年、距離は縮まったか
父の日に義父へのプレゼントを贈るのを、5年前にやめました。あれだけ毎年悩んで選んでいたものをやめた、そのきっかけと、やめた後の義父との関係の変化を、6月の父の日を前に正直に書きます。義両親との距離に悩んでいる60代の方に、ひとつの選択肢として読んでいただければと思います。
来月、また父の日が来ます。
街のあちこちで、父の日特集の広告を見るようになりました。デパートに行くと、ネクタイやお酒の特設売り場ができています。
でも、わたしはもう、その売り場に立ち止まりません。
5年前、わたしは義父への父の日のプレゼントを、やめたのです。
結婚して30年、毎年欠かさず贈ってきたものを、やめました。
その話を、6月の父の日を前に、正直に書きたいと思います。
25年、毎年贈っていたものたち
結婚したのは、わたしが28歳のときでした。
夫の父、つまり義父は、その時すでに62歳でした。
結婚した翌年の6月、初めての父の日のことを、いまでもよく覚えています。
夫に「お父さんに、何か贈った方がいいかな」と聞くと、夫は「うちはそういうの、特にやってないと思うよ」と言いました。
でも、わたしは贈ることにしました。実家の母から、「夫の親に何もしないのは、嫁としてどうかと思う」と何度も言われていたからです。
その年は、ネクタイにしました。
それから、毎年6月になると、わたしは父の日のプレゼントを選びました。
ネクタイ、財布、お酒、ジャージ、シャツ、健康グッズ、書斎の小物、お菓子の詰め合わせ、和菓子、入浴剤、お茶。
毎年違うものを選ぶのが、だんだん難しくなりました。義父は同じものを2回もらうことを、なぜかいやがる人だったからです。
選ぶのに、毎年2週間くらいかかりました。
いつも、義父の反応は薄かった
問題は、義父の反応でした。
プレゼントを渡すと、義父はだいたい同じことを言いました。
「ああ、ありがとう」
そう言って、包みを受け取って、すぐにテーブルの隅に置きます。開けるのは、わたしたちが帰ったあと、らしいのです。
電話でお礼を言われたことは、25年で2、3回でした。
ある年、わたしが奮発して、義父の好きな日本酒の地酒を箱詰めにして送ったことがありました。
3週間後、夫が義父に電話したとき、夫から「お酒、おいしかったって?」と聞いてもらいました。
義父の答えは、「ああ、もらったね。確か」だけだったそうです。
そのとき、わたしは、初めてはっきり気づきました。
義父は、わたしのプレゼントを、楽しみにはしていなかったのだと。
5年前、やめると決めた日のこと
きっかけは、5年前の父の日の1週間前でした。
その年、わたしはまた、デパートで2時間悩んでいました。今年は何を贈ろうか、と。
近くのベンチに座って、わたしは少し疲れていました。
そのとき、ふと思ったのです。
「わたし、誰のために、これを選んでいるんだろう」
義父のためでは、なかったのです。義父は、もらってもうれしくなさそうな顔をします。
夫のためでも、なかったのです。夫は「別にいいよ」と毎年言うのです。
実家の母のためでもなかったのです。母は、わたしの結婚生活を遠くから見ているだけで、何を贈ったかはもう聞かなくなっていました。
わたしは、「嫁としての評価」のために、25年間、これを続けていたのです。
そして、その評価をくれる相手は、もう、ほとんどいないのでした。
その日、わたしはデパートから手ぶらで帰りました。
そして夫に、夜、こう言いました。
「来年から、お義父さんへの父の日、やめてもいい?」
夫は、ほとんど考えずに、「いいよ。前から、無理しなくていいと思ってた」と言いました。
25年のしがらみが、5秒で終わった夜でした。
やめた最初の年、罪悪感はあった
それでも、やめた最初の年は、罪悪感がありました。
6月の第3日曜日、いつもならプレゼントを送り終えてホッとしている日に、何もしていない自分が、なんだかいけない人のように感じました。
夫だけが、その日に義父に電話をしました。
「父の日、おめでとう。元気?」
それだけです。電話は10分くらいで終わりました。
夫が電話を切ったあと、義父からも、義母からも、わたしには連絡がありませんでした。
「贈らなかったこと」を、義両親は何も言いませんでした。
そして、それは、その後の5年間も、続きました。
やめてみてわかったこと
5年やめてみて、わかったことが、いくつかあります。
ひとつめは、義父は、本当に父の日のプレゼントを必要としていなかったということです。 やめた5年間、義父から「最近何もくれないね」と言われたことは、一度もありません。義父は本当に、それを楽しみにはしていなかったのです。
ふたつめは、夫からの電話だけで十分だった、ということです。 義父が本当に楽しみにしていたのは、息子(つまりわたしの夫)からの「元気?」のひと言だったようです。プレゼントは、ある意味、その電話のついでにすぎなかったのです。
みっつめは、わたしの心が、ずいぶん軽くなったことです。 6月のあの2週間、わたしの胃が重くなる感じが、もう5年ありません。あれは、自分でも気づかないストレスだったのです。
よっつめは、義両親との関係は、変わらなかったということです。 やめたから関係が悪化するかと心配していましたが、何も変わりませんでした。年に2回ほどお会いするときも、いつもどおりです。義母が、わたしに対して特別冷たくなった、ということもありません。
「贈らない」より「夫を経由する」がコツだった
ただ、ひとつだけ、わたしが工夫したことがあります。
それは、わたしから何も贈らない代わりに、夫に「父の日には電話してね」と毎年6月初旬にリマインドすることです。
夫まかせにすると、夫は忘れます。
でも、わたしが「来週、父の日だよ」と言えば、夫は必ず電話してくれます。
これだけで、義父と義母は満足してくれているのだと思います。
「嫁」ではなく「息子」が動く形に戻しただけで、家族のかたちは、自然に整いました。
そして、息子からの電話なら、何を選んだか何を話すか、わたしの心はもう動きません。
ストレスから完全に解放されたのは、この「夫経由」のかたちにしてからでした。
義母の日(母の日)はどうしたか
ちなみに、義母への母の日のプレゼントも、同じように見直しました。
ただし、こちらは少し違う対応にしました。
義母には、いまも年に1回、お花だけ送っています。プレゼントを選ぶことの大変さがなく、義母も「お花だと気を遣わなくていい」と言ってくれるからです。
これも、わたしの中で5年かけてたどり着いた答えです。
「全部やめる」ではなく、「義父にはなし、義母にはお花だけ」という、わたしなりのバランスです。
60代になって、人付き合いを軽くする勇気
60代になって思うのは、「軽くする勇気」がいちばん大事だということです。
40代、50代のころは、まわりの目を気にして、しがらみをぜんぶ抱えていました。
でも60代になって、自分の体力や気力にも限りがあると、はっきり感じるようになりました。
すべての義理を、若い頃と同じように果たすのは、無理なのです。
それなら、何を残して、何を手放すか、自分で決めるしかありません。
わたしは、義父への父の日を手放しました。
その代わり、義母へのお花だけは残しました。
夫への父の日と、実父への父の日は、しっかり残しています。
これが、わたしの60代の「軽くする」のかたちです。
父の日が苦しい、と思う方へ
もし、いまこれを読んでくださっている方の中に、6月の父の日が苦しい方がいらっしゃるなら、申し上げたいことがひとつあります。
「やめる」という選択は、悪いことではないということです。
夫の協力さえあれば、義両親との関係はそれほど崩れません(少なくとも、わたしの場合は崩れませんでした)。
そして、自分の心は、確実に軽くなります。
5年前、デパートのベンチで「誰のためにやっているのか」とつぶやいたわたしに、いまの65歳のわたしが言いたいことは、ひとつです。
「やめてよかった。あなたは、それで誰にも嫌われていない」
来月、また父の日が来ますが、わたしは、もう、デパートには行きません。
代わりに、夫が義父に電話する横で、お茶を飲んでいる予定です。
それくらいで、ちょうどよいのです、いまのわたしには。
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