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コラム

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60代になって友達がいない、と気づいた日の話

ヨバナシ編集部 読了 約5分

65歳の冬、お正月の年賀状を5枚しか書かなかった日に、わたしは初めて「友達がいない」とはっきり気づきました。職場の人間関係も、子どもの母仲間も、引っ越しで切れた古い友人も、もう連絡を取り合っていない。ある女性の、そこからの1年半の記録です。

去年の1月の朝でした。

わたしはコタツに座って、年賀状の返事を書いていました。

うちに届いた年賀状は、その年、全部で7枚でした。夫の親族から3枚、義父母から1枚、年金事務所と、保険会社と、銀行から1枚ずつ。

友人からのものは、2枚でした。

2枚です。

書く返事も、その2枚分だけでした。あとは、企業へのお礼状になるかどうかも分からない年賀状で、書く意味があまりないものでした。

その朝、コタツの上に2枚の年賀状を並べて、わたしは長いあいだ、動けませんでした。

「わたし、友達がいないんだな」

それまで気づかなかったわけではありません。でも、こんなにはっきりと、形にして気づいたのは、その朝が初めてでした。

どこで、友達はいなくなったか

65歳。

20代のとき、わたしには友達がたくさんいました。学生時代の同級生、最初の職場の同僚、結婚式に来てくれた人たち。30代も、同じくらいいました。

30代後半、子どもが生まれて、母仲間ができました。幼稚園、小学校、中学校。それぞれの時期で、わたしは新しい人間関係を作り続けていました。

ところが、いつの間にか、友達は減っていきました。

40代、夫の転勤で2回引っ越しをして、古い友人と疎遠になりました。 50代、子どもが大学生になり、母仲間との連絡が自然と消えました。 50代後半、わたしの母が亡くなって、実家のあった土地ともゆっくり距離ができました。 60代、わたし自身が仕事を辞めて、職場の人間関係がきれいに消えました。

気づいたら、わたしの周りに残っていたのは、夫と、義父母と、息子家族だけでした。

「友達」と呼べる、家族以外の人は、もう、ほとんどいなかったのです。

2枚の年賀状の差出人

その朝、コタツの上の2枚の年賀状を、わたしはじっと見ていました。

1枚は、結婚式に来てくれた、独身時代の親友からのものでした。彼女もわたしと同じ65歳。一昨年、ご主人を亡くしていました。 もう1枚は、子どもが幼稚園のときの母仲間からのものでした。今年も「お元気でしょうか?」とだけ書かれていました。

両方とも、わたしから今年、一度も連絡を取っていない相手です。

書いてある言葉は、形式的でした。でも、その形式的な「お元気でしょうか?」が、なぜか、わたしの胸を打ったのです。

向こうは、わたしに連絡をくれている。 わたしは、向こうに連絡をしていない。

そうか、わたしのほうから連絡を絶っていたのか、と。

「友達がいない」のは、半分は自分のせいだった

正直に書きます。

わたしは、人付き合いが下手な人間ではないと、自分で思ってきました。

でも、振り返ると、わたしは「面倒くさい」が口癖でした。

40代の引っ越しのあと、古い友人から「会おうよ」と何度か連絡が来ましたが、「いまちょっと忙しくて」と返事を遅らせているうちに、いつの間にか連絡が途絶えました。

50代、母仲間のお茶会の誘いを、「子どもがもう大きいから話題が合わなくて」と断り続けて、いつの間にか呼ばれなくなりました。

50代後半、職場の同僚から退職祝いの会を提案されましたが、「気を遣わせるから」と遠慮して、断ってしまいました。

ぜんぶ、自分の言葉が、自分から友達を遠ざけていたのです。

孤独になったのは、誰かのせいではなく、わたし自身が「面倒くさい」を選び続けた結果でした。

それで、わたしが65歳の春にやったこと

2枚の年賀状を見たあの日、わたしはひとつ決めました。

「半年に1回でいいから、年賀状をくれた2人に、自分から手紙を書こう」と。

メールでもLINEでもなく、手紙です。

理由は、ふたつあります。

ひとつは、メールやLINEだと「次に何を書こう」「読んでくれているかな」とこちらが気を遣うことです。手紙は、出したらおしまい。次の返事を待つ義務感が、少ない気がしました。 もうひとつは、手紙のほうが、相手の手元に残るからです。お正月の年賀状のように、いつでも見返してもらえます。

3月の終わり、わたしは2人に、初めて手紙を書きました。

特別なことは書きませんでした。今年も桜が咲きました、夫は最近よくゴルフに行っています、わたしも近所をよく散歩しています、そういう、本当に何でもないことです。

最後に、「あなたの2024年の年賀状、コタツの上に出して何度も見返しました。よかったら、また年賀状で近況を教えてください」とだけ書きました。

ポストに入れるとき、少し恥ずかしくて、手紙を握ったまま3分くらい、ポストの前で立っていました。

返事が来た日

2週間後、独身時代の親友から、返事が来ました。

A4の便箋に、彼女のきれいな字で、3枚びっしり書かれていました。

ご主人を亡くしてからの1年のこと、再就職した先のこと、孫が今年小学生になったこと、わたしの手紙がうれしくて、何度も読み返したこと。

そして、最後にこう書いてありました。

「わたしも、友達と呼べる人がいなくなりかけていました。手紙、本当にありがとう。今度、お会いしませんか」

その手紙を読んで、わたしは台所で泣きました。

ひとりじゃなかったのです。 向こうも、同じ気持ちだったのです。

1年半経ったいま

それから1年半が経ちました。

去年の夏、わたしと彼女は、40年ぶりに会いました。お互いの自宅の中間地点の、小さな喫茶店で、3時間話しました。

幼稚園の母仲間からは、お正月にもう1枚、年賀状が来ました。今年は「お電話してもいいですか」と書いてありました。

来月、彼女と電話で話す予定です。

「2枚の年賀状」が、いまの「2人の友達」になりつつあります。

たった2人です。

でも、65歳のわたしには、十分なのです。

10人とお茶会を続ける体力は、もう、ありません。たまに手紙を書ける2人、たまに会える1人、それだけで、わたしの暮らしは、ずいぶん変わりました。

いま、友達がいないと感じている方へ

もしいま、これを読んでくださっている方が、「わたしも、友達がいないかもしれない」と感じているなら、申し上げたいことがあります。

完全にいないことは、たぶん、ないです。

過去に、年賀状をくれた人がいるはずです。 過去に、結婚式に来てくれた人がいるはずです。 過去に、子どものお迎えで「お疲れさま」と声をかけてくれた人がいるはずです。

その人たちは、いま、何かしているわけではなくても、たぶん、あなたを覚えています。

そして、もしかしたら、向こうも同じように、「友達がいなくなった」と感じているかもしれません。

最初の一歩は、難しいです。わたしも、3分間ポストの前で立っていました。

でも、入れた後、何かが、確実に変わります。

返事が来るか来ないかは、運です。でも、出さなければ、絶対に返事は来ません。

65歳の春に、わたしはそれを学びました。

来年、また年賀状を書くとき、わたしの返事の数が、3枚、4枚と増えていることを、いま、ひそかに楽しみにしています。

それだけのことで、「友達がいない65歳」が、少しずつ「2人友達がいる66歳」に変わっていけたら、いいなと、思っているのです。

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#60代 #友達作り #体験談

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