ヨバナシ —女たちの秘密会議
コラム

= COLUMN =

同窓会に行かなくなった理由、65歳のわたしの場合

ヨバナシ編集部 読了 約4分

還暦を過ぎた頃から、わたしは同窓会に行かなくなりました。孫の自慢、病気の話、昔の序列。楽しいはずの集まりが、いつからか疲れる場所になっていたのです。行かないと決めて見えたことと、それでも残った本当のつながりについて、65歳のわたしがお伝えします。

秋に、なると、決まって、届いていた、往復はがき。

同窓会の、お知らせです。

若い頃は、楽しみでした。

なつかしい顔ぶれ。 思い出話。 帰り道の、なんとも、いえない、あたたかさ。

ですが、還暦を、過ぎた頃から、わたしは、同窓会に、行かなくなりました。

今日は、その、同窓会に、行かなくなった、わたしの理由と、行かないと、決めて、見えたことを、お伝えします。

「同窓会が、なんだか、しんどい」と、感じている方に、ひとつの参考に、なればと思います。

なお、これは、わたし個人の、体験です。人との付き合い方は、人それぞれです。あくまで、ひとつの話として、お読みください。

楽しみだった、はずなのに

50代までは、同窓会は、楽しい、集まりでした。

仕事や、子育ての、近況を、報告し合って、「お互い、がんばってるね」と、励まし合う。

そんな、場所でした。

ところが、60代に、入った頃から、少しずつ、空気が、変わってきたのです。

集まるたびに、話題は、決まって、みっつ。

孫の話、病気の話、そして、誰かの、訃報。

孫の、自慢合戦に、あいづちを、打ちながら、孫の、いない友人が、黙り込むのを、見る。

病気の、重さで、張り合うような、会話に、疲れる。

帰り道、あたたかさでは、なく、どっと、疲れが、残るように、なっていました。

昔の序列が、そのまま、生きている

もうひとつ、わたしが、しんどかったのは、昔の、序列です。

学生時代に、目立っていた人が、いまも、場を、仕切る。

おとなしかった人は、いまも、隅で、聞き役。

60代に、なっても、教室の、席順のようなものが、そのまま、生きているのです。

わたしは、あるとき、ふと、思いました。

「わたしは、いま、65歳の、わたしとして、ここに、いるのに、この場では、ずっと、17歳の、役割を、演じている」

そのことに、気づいたら、急に、ばかばかしく、なってしまったのです。

行かないと、決めた年

その翌年、また、往復はがきが、届きました。

わたしは、しばらく、はがきを、ながめてから、「欠席」に、丸を、つけました。

はじめて、欠席に、丸をつけた、ときは、少しだけ、胸が、ちくりと、しました。

「付き合いが、悪いと、思われるかしら」 「もう、誘われなく、なるかしら」

でも、投函して、しまうと、心は、思いのほか、軽く、なりました。

ああ、わたし、ずっと、義理で、行っていたんだな、と。

そのとき、はじめて、わかったのです。

別記事(友人関係の整理、わたしが65歳で手放した3つのおつき合い)にも書いたように、手放してみて、はじめて、それが、荷物だったと、気づくことが、あります。

行かなくなって、見えたこと

同窓会に、行かなくなって、数年が、経ちます。

見えてきたことが、ふたつ、あります。

大人数の、なつかしさより、ひとりの、友情

同窓会と、いう、大きな、集まりには、行かなくなりましたが、そのかわり、本当に、会いたい人とは、個別に、会うように、なりました。

学生時代からの、親友の、佳代さんとは、年に、数回、ふたりで、お茶を、します。

大人数の、宴会で、交わす、うわべの、近況より、ふたりで、ゆっくり、話す、一時間のほうが、ずっと、深い。

別記事(60代の旅で、ふっと思い出した3つの古い友達の話)にも書いたように、古い友達との、つながりは、大きな、集まりが、なくても、ちゃんと、続いて、いくのです。

「なつかしさ」だけでは、つながれない

同窓会の、つながりは、「同じ、学校に、いた」という、なつかしさが、土台です。

でも、60代の、いまを、生きる、わたしに、必要なのは、なつかしさ、より、「いまの、わたし」と、合う人。

昔の、わたしを、知っている人、より、いまの、わたしを、わかってくれる人。

そう、気づいてから、人付き合いの、ものさしが、はっきり、しました。

それでも、残った、つながり

おもしろいもので、同窓会に、行かなくなっても、切れなかった、縁が、あります。

欠席が、続いた、わたしに、「元気にしてる?」と、個別に、はがきを、くれた人。

「今度、ふたりで、会わない?」と、誘ってくれた人。

大きな、集まりを、やめたことで、かえって、本当の、つながりだけが、残りました。

別記事(連絡が途絶えた友人と、20年ぶりに再会した話)にも書いたように、縁というものは、細く、なっても、本物なら、ちゃんと、残るのだと、思います。

行きたくなったら、また行けばいい

誤解のないように、言っておくと、わたしは、「同窓会に、行くべきでは、ない」と、思っているわけでは、ありません。

楽しめる方は、行けば、いいのです。

そして、わたしも、いつか、また、行きたく、なったら、行けばいい。

大事なのは、「行かなきゃ」という、義理で、行かないこと。

行くも、行かないも、自分の、心に、聞いて、決めること。

それだけの、ことなのだと、思います。

さいごに

還暦を、過ぎて、同窓会に、行かなくなった、わたし。

孫自慢と、病気の話と、昔の序列に、疲れて、欠席に、丸を、つけました。

罪悪感は、最初だけ。

行かなくなって、本当に、会いたい人と、個別に、会うようになり、つながりは、かえって、深くなりました。

同窓会が、しんどいと、感じている方が、いたら。

無理に、行かなくても、大丈夫です。

義理の、なつかしさより、いまの、あなたに、合う、つながりを、大切に、してください。

本当の、縁は、大きな、集まりが、なくても、ちゃんと、残ります。

友人関係の、見直しを、考えている方は、別記事(50〜60代女性の友人関係 完全ガイド)も、あわせて、ご覧ください。

なお、人との付き合い方は、人それぞれです。ご自分の、心に、合った、かたちを、選んでみてください。

= 関連する夜話 =