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姑が亡くなって、初めて気づいた義実家の片づけ問題
85歳の姑が亡くなって半年。義実家の片づけが、夫と、姑との関係を、もう一度ぐるりと回してくれた話です。捨てるか残すかの選択が、ひとつひとつ、姑との35年を振り返るきっかけになりました。義実家の遺品整理に取りかかる60代妻に、ひとつの記録として残します。
姑が、亡くなって半年が経ちました。
85歳。最期は、慢性的な心臓の不調でしたが、苦しい時間は短かったと聞いています。
私は、姑との関係が、決して良いものではありませんでした。 35年、ずっと、距離を取りながら付き合ってきた間柄でした。
葬儀のあと、ふたつのことが残りました。
ひとつは、義父がひとりで暮らす実家。 もうひとつは、姑が30年以上暮らした、その家の中の、ぜんぶの「もの」。
夫と私は、半年かけて、姑のものを少しずつ片づけてきました。
正直に言います。
この半年で、私は、姑のことが、初めて少しわかった気がしたのです。
そして、夫との関係も、35年で初めて、こんなに深く話し合うことになりました。
その記録を、書き残しておこうと思います。
義実家の押し入れを、初めて開けた日
葬儀から3週間後、夫と私は、義実家の片づけに行きました。
義父は、「お母さんのものは、お前たちで好きにしてくれていい」と言いました。
押し入れを開けた瞬間、私は息をのみました。
そこには、姑の30年分のものが、ぎっしり詰まっていたのです。
私の知らない着物が、20枚以上。 革のハンドバッグが、15個。 食器が、棚3段分。 セーターやコートが、衣装ケース10個分。 写真のアルバムが、20冊以上。 そして、何が入っているかもわからない、紙袋とダンボールが、合計50個ほど。
夫は、その光景を見て、ぼそりとこう言いました。
「お袋、こんなに、ものを溜めていたんだな」
息子の夫も、母親のもののすべてを、知ってはいなかったのです。
最初の3日間、私たちはほとんど進まなかった
最初の3日間、私と夫は、押し入れの前で、ほとんど動けませんでした。
何から手をつけていいか、わからなかったのです。
そして、もうひとつ理由がありました。
ものを手に取るたびに、姑との35年が、ぐるぐる回ったのです。
ある黒い革のハンドバッグを取り出したとき、夫がこう言いました。
「これ、お袋、俺の結婚式のときに持ってたやつだよ」
私が結婚した日、姑が持っていたバッグ。 私は覚えていませんでした。
夫はそのバッグをしばらく見つめて、ひと言、「結婚式のとき、お袋、緊張してたんだよ」と言いました。
私は、35年前の結婚式の日の姑を、初めて、想像しました。
姑も、緊張していたのです。
息子をはじめて手放す日に、お姑さんなりに、こちらに失礼のないようにと、いちばんいいバッグを選んでいたのです。
そのことに、35年たって、初めて気づきました。
着物の中から出てきた、手紙
押し入れの奥のほうから、桐の箱が出てきました。
中には、姑の着物が3枚と、その下に、和封筒の手紙が10通ほど、入っていました。
夫が、いちばん上の1通を開けました。
姑の母親、つまり夫の祖母からの手紙でした。
「あなたが結婚して、初めての家に行くこと、何より心配しています。お姑さんは怖い方だと聞きました。あなたが嫁いだ先で、寂しい思いをしないよう、母も毎日祈っています」
夫は、ぽつりと、こう言いました。
「お袋も、嫁だったんだな」
それは、私には、当たり前のことでした。
姑も、誰かの嫁だった。 姑も、自分の姑に、気を遣って暮らしていた。 姑も、結婚した最初の頃、寂しかった。
私には当たり前のことが、夫と、たぶん姑自身にとっても、忘れていたことだったのです。
夫は、その夜、ホテルに戻ってから、無口でした。 お風呂上がりに、ぽつりとこう言いました。
「お袋に、もうちょっと、優しく接してやればよかった」
35年連れ添って、私が、夫からこのセリフを聞いたのは、初めてでした。
私の中の「姑のものに対する複雑な感情」
正直に書きます。
姑のものを片づけるとき、私の中には、ふたつの感情が、ぐちゃぐちゃに混ざっていました。
ひとつは、「早く片づけて、義実家を見やすくしたい」という、実務的な気持ち。 もうひとつは、「あれだけ嫌な思いもさせられた相手のものを、自分が選別する」という、何とも言えない、複雑な気持ち。
姑の食器を片づけるとき、私は何度か手が止まりました。
姑が「あなた、お皿洗うとき、もっと丁寧にね」と言った日のお皿。 姑が「これは私の母の形見だから」と何度も自慢した急須。 姑が「あなたの実家、こういう食器、ないでしょう」と言った、輪島塗のお椀。
ひとつひとつに、姑の言葉が、貼りついていました。
「捨てる」のは、簡単でした。 でも、捨てるたびに、その日の姑の声が、頭の中で、もう一度鳴るのです。
3日目の夕方、私はトイレに立って、しばらく出てきませんでした。
戻ると、夫が、こう聞きました。
「もしかして、これ、お前にはきつい?」
私は、初めて、夫に泣きながら言いました。
「私、お母さんのこと、いまでも、嫌い」
夫は、しばらく黙ってから、こう言いました。
「分かった。お袋のものは、俺が片づけるよ。お前は、もう来なくていい」
35年連れ添った夫が、私の気持ちを、初めて、まっすぐ受け取ってくれた瞬間でした。
それからの半年、夫が片づけた
それからの半年、義実家の片づけは、夫が、ひとりでやりました。
最初、私は「悪いから手伝う」と言いましたが、夫はこう答えました。
「お袋は俺の母親だから、最後は、俺の責任で送り出す」
夫は、月に2回、ひとりで義実家に通いました。 姑の着物を、リサイクルショップに持って行きました。 姑のハンドバッグを、私の好きそうなのだけ、私に「もしよかったら」と1個だけ持って帰ってきました。 姑の食器のうち、輪島塗のお椀だけ、義父の食卓用に残して、あとは処分しました。
そして、姑からのいろんな手紙、姑のアルバム、姑の写真は、夫が大事に、自分の書斎にしまいました。
「これは、俺の宝物」と、夫はぽつりと言いました。
半年経って、夫と私が変わったこと
姑の片づけが、半年で、ほぼ終わりました。
義実家は、姑のものがほとんどなくなり、義父がひとりで暮らしやすい、シンプルな家になりました。
そして、私と夫の関係も、変わりました。
夫が、姑のことをよく話すようになりました。 姑の子ども時代のこと。 姑が、夫を産んだときのこと。 姑が、若い頃、ピアノを習いたかったのに親に許してもらえなかったこと。
私は、初めて、姑の人生を、夫から聞きました。
そして、思いました。
「姑は、姑の人生を、ちゃんと生きていたんだ」
35年、姑を「嫌な人」としてしか見ていなかった私が、姑の人生を、ぼんやりだけど、人として見られるようになりました。
姑が亡くなってからでないと、たぶん、これは見えなかったのです。
「義実家の片づけ」は、嫁にとってのもうひとつの別れ
義実家の片づけは、実務だと、私は思っていました。
捨てる、残す、寄付する、リサイクルに出す。
そういう、効率の話だと。
でも、半年やってみて、これは、嫁にとっての、もうひとつの「姑との別れ」だったと、いまは思います。
姑が生きている間は、感謝することも、許すことも、できませんでした。 でも、姑のものを、ひとつひとつ手に取って、「これはどんな日のものだったか」と考えるうちに、姑も、ひとりの人だったと、初めて受け取れたのです。
これは、姑が亡くなってからしかできない、おしごとなのかもしれません。
片づけを進めるための、私たちなりのコツ
最後に、実際の片づけで、私たちが助かったコツを、少しだけ。
ひとつめは、「3つの箱」を用意することです。
- 捨てる箱
- 残す箱
- 迷う箱
迷ったら「迷う箱」に入れて、判断を先延ばしにする。これが、心の負担を減らしました。
ふたつめは、「写真に撮ってから捨てる」ことです。 姑の着物や食器を捨てる前に、私たちは1枚ずつ写真を撮りました。実物は捨てても、写真は残ります。後から「あれを捨てなければよかった」と思っても、写真があれば少し気持ちが落ち着きます。
みっつめは、「無理しないこと」です。 1日にやる片づけは、3時間まで。それ以上やると、感情が追いつかなくなります。半年かかってもいい、と最初に決めておくと、焦らずに済みました。
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さいごに
姑が亡くなって、半年。
私の中の姑への複雑な感情は、完全には消えていません。 たぶん、これからも、消えないと思います。
でも、夫が言った「お袋に、もうちょっと優しく接してやればよかった」というひと言が、私の中の何かを、少し、和らげてくれました。
姑の片づけは、義実家を整理するためだけのものでは、ありませんでした。
夫と私が、35年で初めて、姑のことを「ふたりで」話せた、貴重な半年でした。
もし、いま、義実家の片づけを始めるかどうか、迷っている方がいらっしゃるなら、ひとつだけ申し上げたいです。
「片づけ」は、実務ではなく、もうひとつの別れと、もうひとつの夫婦の話し合いです。
時間をかけて、夫婦で、やってみてください。
きっと、いま見えていないものが、少しだけ、見えてくると思います。
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