ヨバナシ —女たちの秘密会議
コラム

= COLUMN =

親への『ありがとう』を1日1回、続けて1年経った話

ヨバナシ編集部 読了 約5分

去年の春から、わたしは87歳の母に、1日1回『ありがとう』を伝える、というささやかな試みを始めました。母の介護で疲れていた62歳のわたしの、自分への小さな提案でした。1年経って、わたしと母の関係に、確かに何かが起きました。声に出すだけの『ありがとう』が、母と娘の最後の数年を、温めてくれた話を、書きます。

去年の春、わたしは、87歳の母に、ある小さな試みを始めました。

「1日1回、母に『ありがとう』を伝える」

ただ、それだけの、ささやかな試みでした。

理由は、母の介護に、わたしが疲れていたからでした。

母は要介護2で、週3回、わたしが実家に通って、家事と買い物を手伝っていました。 朝の電車に乗って、実家に着いて、母の様子を見て、家事をして、夕方には帰る。 週3回それを繰り返して、わたしの中の、母への気持ちが、だんだん「やらなければならない義務」に、変わっていたのです。

母を、嫌いになりたくない。 母との最後の数年を、義務感で終わらせたくない。

そう思って、わたしは、思いきって、自分にあるルールを課しました。

「1日1回、母に『ありがとう』を、口に出して言う」

たった、それだけ。

それから1年。

母とわたしの関係に、確かに何かが、起きました。

今日は、その1年の話を、書きたいと思います。

はじめての「ありがとう」は、ぎこちなかった

最初の日、わたしは、母の実家の台所で、お茶を入れていました。

母は、ソファに座って、テレビをぼんやり見ていました。

「お母さん」

わたしは、お茶を入れながら、声をかけました。

「あのね、お母さんが昨日、わたしの好きな漬物を残しておいてくれたでしょ。あれ、本当にありがとう」

母は、テレビから目を離さず、こう返しました。

「ああ、そう」

それだけでした。

わたしは、なんとも言えない気持ちで、台所に戻りました。

母には、「ありがとう」が、ちゃんと、届かなかったような気がしました。

ですが、それでも、わたしは、自分に課したルールを、その日、ひとつ果たした、と思いました。

1週間、毎日、何かを見つけて言った

1週間、わたしは、毎日、母に「ありがとう」を伝え続けました。

母が、お茶のお湯加減を覚えていてくれた、ありがとう。 母が、デイサービスから帰る時間を、わたしに電話で教えてくれた、ありがとう。 母が、わたしの息子の写真を、いまも玄関に飾ってくれている、ありがとう。 母が、わたしのために、お赤飯を炊いてくれた朝のこと、いまでも思い出してる、ありがとう。

最初の3日は、母の反応は、薄かったです。 「ああ」「うん」「そう」、そんな短い返事ばかり。

4日目から、母が、ちょっとずつ、目を上げて、わたしを見てくれるようになりました。

そして、7日目、母が、初めて、こう返してくれました。

「あんたは、毎日、よく気づくね」

わたしは、台所で、ふっと、涙が出ました。

「ありがとう」のお返しに、「気づくね」が、返ってきたのです。

1ヶ月、母が変わり始めた

1ヶ月続けて、母の変化は、確かなものになりました。

母が、わたしの帰り際に、必ず、こう言ってくれるようになりました。

「あんた、今日も、ありがとうね」

最初の年、わたしから母に伝えていた「ありがとう」が、1ヶ月で、母からわたしに、返ってくるようになったのです。

それは、本当に、不思議な感覚でした。

「ありがとう」は、一方的に伝えるものではなく、お互いに、まわるものなのだと、わたしは初めて、知りました。

そして、母とわたしの関係が、義務感ではなく、感謝の循環に、変わり始めました。

6ヶ月、母が認知症の症状を見せ始めた

去年の秋頃から、母は、認知症の初期症状を、見せ始めました。

同じ話を、何度も繰り返す。 冷蔵庫の中に、同じものが3つ並ぶ。 電話の相手を、覚えていないことが、増える。

これまでは、わたしも母も、できるだけ普通に過ごしてきましたが、母の中で、何かが、ゆっくり変わり始めていることが、はっきり、見えました。

ですが、不思議なことに、母の中で「あんた、今日も、ありがとうね」という言葉は、消えませんでした。

物忘れは、進んでいるはずなのに、わたしが帰るとき、母は、必ず、その言葉をくれるのです。

母の中の「感謝の習慣」が、たぶん、認知症のさらに奥のところに、しっかり根付いている。

そう、感じます。

1年経って、わたしが思うこと

1年続けて、わたしは、こう感じています。

「ありがとう」は、家族の関係を、温める「水」みたいなもの。

水は、毎日少しずつ注がないと、すぐ枯れます。 ですが、毎日1杯ずつでも、続けて注げば、家族の関係は、ずっと、生き続けます。

特別な日のプレゼントよりも、毎日のささやかな「ありがとう」のほうが、家族の関係を、長く深く、保ってくれるのです。

母の介護で疲れていた62歳のわたしが、ふと始めた「1日1回」が、いまのわたしの、いちばんの支えになっています。

「ありがとう」のネタが、尽きない理由

「1日1回、ありがとうを言う」と決めると、最初は「毎日、何を見つけたらいいか」が、難しいと感じます。

ですが、続けてみると、これは、本当に、尽きないのです。

なぜなら、よく見ていると、母は、毎日、わたしのために、何かを、しているからです。

  • お湯のみを、わたしの場所に向けて置いておく
  • わたしが好きなお漬物を、残しておく
  • わたしが帰る時間に、玄関の電気を、つけてくれる
  • 季節の花を、玄関に1輪、飾る(これは、わたしのため、ではなくても、わたしが気持ちよく入ってこれるように)
  • わたしの息子(母の孫)の写真を、いまでも、リビングに置いてくれている

ぜんぶ、小さなことです。

ですが、毎日、見つけようと思えば、本当に、いくらでも、出てきます。

母は、わたしのために、毎日、何かを、しているのです。

「ありがとう」が、見つからない日は、本当は、母を見ていない日、なのかもしれません。

親への「ありがとう」を、続けたい方へ

もし、いま、親の介護で疲れていて、親への気持ちが、少し冷えてきている方がいらっしゃるなら、申し上げたいことが、ひとつあります。

1日1回、親に「ありがとう」を、口に出して、伝えてみてください。

特別な日でなくても、構いません。 たいしたことでなくても、構いません。

「お母さん、今日のお茶、おいしかった、ありがとう」 「お母さん、わたしが座る場所を、今日も空けておいてくれた、ありがとう」 「お父さん、わたしの靴を、玄関で、まっすぐ並べておいてくれた、ありがとう」

これだけのことで、1ヶ月後、親と、あなたの関係に、何かが起きます。

少なくとも、わたしと母の場合は、起きました。

そして、母が認知症で物忘れが進んでも、「ありがとう」だけは、不思議と、母の中に残ってくれています。

それは、母にとっても、わたしにとっても、たぶん、母の最後の数年で、いちばん大切な、贈り物になっています。

さいごに

母は、いま88歳。

これから、何年、わたしと過ごせるか、わかりません。 ですが、わたしは、これからも、毎日、母に「ありがとう」を伝え続けます。

それが、母と娘の、最後の数年を、いちばん温かいかたちで過ごす、わたしの、ささやかな心構えです。

そして、母が、わたしのことを覚えていられない日が、いつか、来るかもしれません。

そのときも、わたしは、母に「ありがとう」を、伝え続けるつもりです。

母が、覚えていなくても、わたしが、忘れない。

それが、わたしの、母への、最後の親孝行のかたちです。

= 関連する夜話 =

介護

父が亡くなった日、母とふたりで台所に立った2時間

85歳の父が亡くなった日の夜、わたしと80歳の母は、なぜか、台所にふたりで立っていました。葬儀社の手続きが終わって、家に戻った夜の8時から10時までの2時間。何かを作ろうとしていたわけではなく、ただ、ふたりで立っていたかったのです。あの夜の話を、3年たった今、書きます。

#60代 #親の死 #母娘

介護

親の介護費用、わたしが1年でいくらかかったかの記録

88歳の母の在宅介護に、1年で、いくらかかったか。65歳のわたしが、実際に、記録した1年分の介護費用を、内訳とともに、公開します。介護保険サービス、おむつ代、医療費、介護タクシー。費用を抑える工夫、使える制度も、公的な情報と一緒にお伝えします。親の介護費用に不安がある方へ。

#60代 #介護費用 #在宅介護

介護

介護施設の見学、わたしが3つ回って気づいたこと

母の介護を続けながら、将来の施設入居に備えて、わたしは3つの介護施設を、見学しました。特別養護老人ホーム、有料老人ホーム、サービス付き高齢者向け住宅。それぞれの違い、見学で必ず確認したこと、入居費用の目安、見学から得た3つの気づきを、公的な情報と一緒に整理します。

#60代 #介護施設 #見学

介護

介護保険の限度額、わたしが計算した家計の現実

母の介護保険(要介護2)で、毎月いくらの介護サービスを受けて、いくら自己負担しているか。65歳のわたしが、3年使い続けて、ようやく整理した数字をお伝えします。要介護度別の限度額、自己負担割合、家計への実際の影響、そして限度額を超えた場合の対応まで、公的な情報と一緒にまとめます。

#60代 #介護保険 #限度額