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人生後半戦を穏やかにしてくれた、わたしの3つの言葉
65歳。これからの15年、20年をどう生きるか、ふと不安になる夜があります。そんな夜、わたしを支えてくれる3つの言葉を、本やお寺で出会った時のエピソードとともにお伝えします。新しい言葉ではなく、昔からあった言葉が、60代になって初めて、わたしの心に届きました。
65歳になりました。
夜、ベッドに入ったあと、ふと思うことがあります。
これから、わたしは、あと何年生きるんだろう。 15年か、20年か、25年か。 体は、いつまで動くだろう。 夫は、自分より先に逝ってしまうだろうか。 ひとりになったとき、わたしは、ちゃんと、立っていられるだろうか。
考え始めると、眠れなくなります。
そんな夜が、月に何度か、来ます。
ただ、ここ数年、わたしには、そういう夜に、心の中で唱える「3つの言葉」ができました。
新しい言葉ではありません。 むしろ、昔から、ずっと、あった言葉です。
ところが、60代になって、初めて、これらの言葉が、わたしの心に深く届くようになったのです。
今日は、その3つの言葉と、出会った時のことを、書きたいと思います。
ひとつめの言葉:「いまここ」
最初の言葉は、「いまここ」。
漢字で書けば「今此処」。
64歳の春、近所のお寺の朝のお勤めに、半年ほど通っていた時期がありました。 週1回の朝6時、住職さんのお話を聞く、というささやかな会でした。
ある朝、住職さんが、こう話されました。
「歳を取ると、過去と未来ばかり、気にしてしまうんです。若い頃にあれをしていれば、未来にこれが起きたらどうしよう。心は、過去か未来にばかり、行きたがります。でもね、人生は『いま、ここ』にしかないんですよ」
その朝、わたしは、お寺の畳に正座しながら、ぽろぽろ涙が出ました。
わたしの不安は、ぜんぶ、過去と未来のことでした。
過去の後悔と、未来の不安。 そのどちらも、いま、ここでは、何も起きていないのに、頭の中で、わたしを苦しめていたのです。
その日以来、わたしは、不安な夜に、こう自分に言うことにしました。
「いまここ。いまわたしは布団のなかにいる。あたたかい。それで十分」
「いまここ」を、心の中で3回繰り返すだけで、不思議なくらい、不安が和らぎます。
その夜の眠りも、深くなります。
ふたつめの言葉:「足るを知る」
ふたつめは、「足るを知る」。
これは、本で出会った言葉です。
62歳のとき、図書館で、何気なく手に取った仏教関連の入門書のなかに、この言葉がありました。
「足るを知る者は富む」。
意味は、「すでに自分が持っているものを認められる人は、心がいちばん豊かである」、というようなことだそうです。
その本を読んだとき、わたしは台所の椅子に座っていました。
ふと、台所を見回しました。
35年使っている古い食器棚。 夫がDIYで作ってくれた、小さな飾り棚。 息子が幼稚園のとき書いた「ありがとう」の紙の絵。 冷蔵庫に貼った、孫の写真。
「わたし、もう、けっこう、いろいろあったんだな」
そう、自然と、思いました。
それまで、わたしは「あれが足りない」「これがまだ欲しい」と、いつも、足りないものの方を見ていました。
ですが、台所には、すでに、わたしの35年が、ぜんぶ、ありました。
「足るを知る」は、わたしの中の何かを、ふっと、楽にしてくれました。
不安な夜、何かが足りない、何かが心配だ、と感じるとき、わたしは、こう自分に問うようにしています。
「いま、わたしには、何があるかな」
そして、ベッドの中で、目を閉じたまま、自分が持っているものを、5つ、心の中で数えます。
- 健康な手と足が、まだある
- 夫が、隣で眠っている
- 古いけれど、雨風をしのげる家がある
- 明日の朝、飲むコーヒーが、戸棚にある
- 心配ごとを話せる、友人がふたり、いる
5つ数え終わる頃には、不安が、半分くらい、消えています。
みっつめの言葉:「無事是貴人」
3つめは、「無事是貴人(ぶじこれきにん)」。
これも、お寺で住職さんから教わった言葉です。
意味は、「何も特別なことがない日が、いちばん貴い」、というようなことだそうです。
住職さんは、こう話されました。
「『無事』とは、事件がない、ということではありません。今日も無事に朝が来て、無事にご飯を食べて、無事に夜が来た。その『無事』が、人生のいちばん貴重なものです。若い頃は、これに気づきにくいんですよ」
ハッとしました。
65歳のわたしの毎日は、本当に「無事」です。
事件もない、大きな喜びもない、ぼんやりとした、おだやかな日々。
若い頃のわたしは、こういう日々を「退屈」と感じていました。 何かもっと、刺激がほしい、と思っていました。
ところが、65歳のいま、この「無事」が、どれほどありがたいものか、ようやく分かりました。
朝、夫が「いってきます」と出かけて(ゴルフに)、夕方、無事に帰ってくる。 お昼に作ったお味噌汁が、おいしくできる。 夜、ベッドに入って、明日も同じような日が来るだろう、と思える。
これが、65歳の「無事」です。
これを失う日が、いつか必ず来ます。 夫が病気になったり、わたしが入院したり、子どもに何かあったり。 そういう日は、たぶん、もう、すぐそこに、ある。
だからこそ、いまの「無事」を、心の底から大事にする。 それが、人生後半戦を穏やかに生きる、わたしの心構えになりました。
不安な夜、わたしは、こう自分に言います。
「今日も、無事だったね。それで、十分だね」
3つの言葉、組み合わせて使う
3つの言葉は、それぞれ、別の場面で力を発揮します。
- 過去や未来のことで不安なとき → 「いまここ」
- 何かが足りない、と感じるとき → 「足るを知る」
- ぼんやりした穏やかな日を、退屈に感じてしまうとき → 「無事是貴人」
そして、夜眠れないときには、3つを、順番に、ゆっくり、心の中で唱えます。
「いまここ。足るを知る。無事是貴人」
これで、たいていの夜は、眠れます。
言葉が「届く」には、時間が必要だった
正直に書きます。
これらの3つの言葉は、わたしも、若い頃から、何度か聞いたことがあった言葉です。
30代、40代でも、本でも、テレビでも、講演でも、聞いたことが、たぶん、ありました。
ですが、当時のわたしの心には、これらの言葉は、深く届きませんでした。
「ふうん、そうだね」と思って、すぐに通り過ぎていました。
これらの言葉が、わたしの心に深く届くようになったのは、60代になってからでした。
若い頃にできなかった、いろんな後悔。 これから先に向かう、いろんな不安。 体の小さな変化が、毎月感じられる、その小さな喪失。
そういうものを抱えるようになって、初めて、「いまここ」「足るを知る」「無事是貴人」が、わたしの心に、まっすぐ、入ってきました。
言葉は、変わっていません。 変わったのは、わたしの方でした。
これは、若い頃には、たぶん、誰も教えてくれなかったことです。 「言葉は、年齢に応じて、入ってくるタイミングが違う」と。
同じ夜を過ごす方へ
もし、いま、夜眠れない時間がある60代の方がいらっしゃるなら、3つの言葉を、心の片隅に、置いておいてください。
「いまここ」 「足るを知る」 「無事是貴人」
3つとも、新しい言葉ではありません。 若い頃には、ピンとこないかもしれません。
ですが、60代の心には、もしかしたら、深く届くかもしれません。
わたしの場合は、届きました。 そして、深く届いてからは、夜の不安が、確実に、少なくなりました。
毎月、何回かは、それでも眠れない夜は、来ます。 ですが、その夜、わたしには、唱える言葉が、3つある。 それだけで、若い頃と、ぜんぜん違う夜を、過ごせています。
人生後半戦の「お守り」のような言葉を、それぞれの方が、それぞれに、見つけられますように。
わたしの3つが、もしどなたかの、最初の入り口になれば、うれしく思います。
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