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コラム

= COLUMN =

父の介護で兄と仲違いして、解けるまでの2年の話

ヨバナシ編集部 読了 約6分

85歳の父の介護をめぐって、わたしと兄は2年間、口を聞かなくなりました。介護負担、お金、施設入居、すべてで意見が合わなかった2年。最後にわたしたち兄妹を和解させてくれたのは、父の最後のひと言でした。介護で兄弟と揉めている60代の方に、ひとつの記録として残します。

父が85歳で要介護3になったのは、3年前の春でした。

母はすでに亡くなり、父はひとりで実家に住んでいました。

子どもは、わたし(62歳)と、兄(65歳)の2人。 兄は実家から車で1時間、わたしは実家から車で40分の距離に住んでいました。

「父の介護を、どうするか」

この話し合いから、わたしと兄の関係は、急速に冷えていきました。

そして、2年間、わたしと兄は、ほとんど、口を聞きませんでした。

兄の家族の写真も、お正月の年賀状も、来なくなりました。

最後にわたしたちを和解させたのは、父の、最後のひと言でした。

今日は、その2年と、和解の話を、書こうと思います。

兄の主張と、わたしの主張

父の介護が始まって最初の話し合いで、兄とわたしの意見は、はっきり、分かれました。

兄の主張: 「俺は仕事が忙しいから、毎週は通えない。お前(妹)が中心になって、平日の父の世話をしてほしい。俺は土曜の朝に顔を出す。お金は折半する」

わたしの主張: 「わたしも仕事をしている。週5日、父のところに通うのは無理。施設に入ってもらうか、訪問介護をフル活用するか、どちらかにすべき」

兄は「施設はかわいそう」「父も嫌がるはずだ」と言いました。 わたしは「わたしには無理」「身体が壊れる」と言いました。

両方とも、本心でした。

ただ、その本心が、まったく重ならなかったのです。

最初の半年、わたしが「兄の主張」で動いた

最初の半年、わたしは兄の主張で動きました。

「お前が中心になれ」を、受け入れたのです。

なぜ受け入れたか。

ひとつめは、兄が、わたしの説得に応じる気がなかったこと。 ふたつめは、わたしも「妹は親の世話をするもの」という、古い考えに、心のどこかで縛られていたこと。 みっつめは、兄に「お前は冷たい」と言われたのが、こたえたこと。

週4回、父のところに通いました。

朝、夫を見送ったあと、車で40分。 父の朝食、洗濯、掃除、買い物、夕食、寝る前の薬。 夜8時に、自分の家に帰りました。

これを半年続けて、わたしは8kgやせました。 不眠症になりました。 朝、車のキーを取るのに、手が震えるようになりました。

それでも、わたしは続けようとしました。

止めたのは、夫でした。

「お前、このままだと、お父さんより先に倒れるぞ」

夫が、強く、わたしを止めてくれました。

わたしが、兄に「もう無理」と伝えた日

夫の言葉のあと、わたしは、兄に電話しました。

「お兄ちゃん、わたし、もう無理。施設を考えてほしい」

兄の反応は、冷たいものでした。

「お前が、もう少し頑張ればいいだろう。施設なんて、父にかわいそう。お前のせいで、父が早く逝ったらどうするんだ」

「お前のせいで」。

その言葉が、わたしの中で、何かを切りました。

その日から、わたしと兄は、ほとんど、口を聞かなくなりました。

わたしは、ケアマネさんと相談して、父の介護のかたちを、強引に変えました。

訪問介護を週5回。 デイサービスを週3回。 週末は、わたしが顔を出す。

兄には、メールで「これでやります」と一方的に伝えました。

兄からの返事は、「勝手にしろ」だけでした。

2年間、兄と話さなかった

それから2年、兄とわたしは、ほとんど、口を聞きませんでした。

お盆も、お正月も、別々に父のところに行きました。 予定を兄と調整して、わたしと兄が同じ日に父のところで顔を合わせないようにしました。

父は、兄とわたしの仲違いを、なんとなく感じていました。

ですが、父は、認知症が進んでいて、何が起きているか、もう、はっきりとは分からなくなっていました。

ただ、たまに、わたしに、こう聞いてきました。

「お兄ちゃんは、元気か」

わたしは、「元気だよ」とだけ、答えました。

父に、兄妹の仲違いを、伝えたくなかったのです。

2年半後、父が施設で倒れた

父は、ケアマネさんの紹介で、サ高住に入っていました。 そこに入ったのも、わたしが兄に相談せず決めたことでした。

2年半経った、ある冬の朝、施設から電話がありました。

「お父様が、夜中に倒れて、救急搬送されました」

わたしは、急いで、病院に向かいました。

病院の待合室で、わたしは、兄に電話しました。 2年ぶりに、電話するのに、指が震えました。

兄は、出ました。

「ああ、わかった。今からそっち行く」

兄も、すぐに病院に駆けつけてくれました。

2年ぶりに、兄と顔を合わせました。

兄は、わたしの顔を見て、しばらく、何も言いませんでした。

そして、お互い、待合室の隣の椅子に、無言で、座りました。

父の最後のひと言

父は、その日、意識を取り戻したり、戻らなかったりを、繰り返しました。

医師には、「今夜が山かもしれません」と言われました。

夜、わたしと兄は、父のベッドの両側に座って、ずっと、父の手を握っていました。

夜中の2時頃、父が、ぱっと、目を開けました。

そして、わたしと兄の顔を、交互に見て、こう言いました。

「2人とも、来てくれたんか」

声は、かすれていました。

兄も、わたしも、無言で、うなずきました。

そして、父は、こう続けました。

「2人で、仲よくな」

ただ、それだけでした。

父は、その言葉のあと、また目を閉じて、3時間後に、亡くなりました。

父が亡くなった夜、兄が泣いた

葬儀の準備で、わたしと兄は、夜遅くまで、実家にいました。

書類を整理しながら、兄が、ぽつりと、こう言いました。

「俺、ずっと、お前に悪いと思ってた」

わたしは、書類の手を止めて、兄を見ました。

兄は、続けました。

「俺、仕事のせいにして、ぜんぶ、お前に押しつけた。お前が無理って言ったとき、本当は、俺が変わるべきだったんだよ。でも、それを認めるのが、できなかった」

「2年、お前と話せなくて、本当は、毎日苦しかった」

65歳の兄が、初めて、わたしの前で、泣きました。

わたしも、泣きました。

「お兄ちゃん、わたしも、本当は、お兄ちゃんに会いたかった」

そう答えました。

2年の仲違いが、その夜、ようやく、解けました。

兄妹の仲違いを、解いてくれたのは、父だった

考えてみれば、わたしと兄は、自分たちでは、もう、和解できなかったのです。

お互いに、意地を張り、お互いに、相手の方が悪いと思い、お互いに、最初に折れたら負け、と感じていました。

父の「2人で、仲よくな」のひと言が、わたしと兄の間の、2年のかたまりを、いっぺんに、ほどいてくれたのです。

最後の最後に、父が、わたしたちに、いちばん大事な贈り物をしてくれました。

介護で兄弟と揉めている方へ

もし、いま、親の介護をめぐって、兄弟と意見が合わない方がいらっしゃるなら、申し上げたいことが、3つあります。

ひとつめ、「親が亡くなったあと、何十年も兄弟と付き合う」と、最初に思い出してください。 介護は数年で終わります。ですが、兄弟は、たぶん、30年、40年と、これからも続きます。介護のために、その後ろの長い兄弟関係を犠牲にする選択は、よく考えてほしいです。

ふたつめ、「介護負担を背負いすぎている方」が、必ず、最初に折れてください。 わたしの場合は、わたしが先に折れました。「もう無理」と言うのは、自分の身体を守るためでもありますが、兄弟関係を救うためでもあります。倒れる前に、必ず、伝えてください。

みっつめ、もし完全に仲違いしてしまっても、「お互いに、相手も苦しい」と、心の片隅に置いておいてください。 わたしの兄は、2年間、わたしと話さない時間、ずっと「悪いと思っていた」と、後で教えてくれました。表に出さなくても、相手も、たぶん、同じように苦しんでいるのです。

そして、もしご縁があれば、親が元気なうちに、こう聞いてみてください。

「お父さん、お母さん。もし何かあったら、わたしと兄(妹)で、どう介護してほしい?」

親の希望を、親が元気なうちに、兄弟全員で聞いておく。 これだけで、兄弟の仲違いの確率が、ずいぶん下がります。

わたしと兄は、父が亡くなる直前まで、これができませんでした。

そして、父の最後のひと言で、ようやく、和解できました。

その日まで、2年半。 ずいぶん、遠回りでした。

なお、介護や親族間の話し合いは、それぞれのご家庭で大きく状況が異なります。深刻な対立がある場合は、ケアマネジャーさんや、地域包括支援センター、または家族問題に詳しいカウンセラーへの相談もご検討ください。

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